火葬・準合葬を決断された天皇皇后…ほほえましくていい話
週刊朝日によれば、天皇自身が「火葬が望ましい」という意向があると、当時の羽毛田信吾宮内庁長官が発言したのは2012年4月26日だった。葬儀も国民の負担にならぬよう、簡素に質素に行うようにという天皇の考えが反映された「今後の御陵及び御喪儀のあり方について」というものが、11月14日(2013年11月)に宮内庁から発表され話題を呼んでいる。
火葬は実現したが、皇后と同じお墓(陵)にという思いは、美智子皇后が「あまりに畏れ多いこと」と固辞したことで叶わなかったという。朝日新聞の皇室担当編集委員の岩井克己氏によると、美智子さまは「『私などがめっそうもない。陛下のおそばに小さな祠でも建てていただければ』というお気持ちを示されていたようだ」という。
そのため、御陵は合葬ではないが、天皇陵と少し小さめの皇后陵を並べて、2つが一体となってひとつの陵をなすように設計されるようになったという。そして、発表文にはわざわざ「同一敷地内に寄り添うように配置する」と明記された。場所は武蔵陵墓地内の大正天皇陵西側で、総面積3500平方メートル。昭和天皇陵の8割程度になる予定だ。
皇室の葬儀は代々土葬だったのではないかと思っていたが、仏教などの影響もあり、703(大宝3)年、女性天皇だった第41代持統天皇が初めて火葬されたそうである。その後、土葬と火葬どちらも行われていた時期があり、室町中期から火葬が定着したという。再び土葬が復活したのは江戸時代で、1654(承応3)年、後光明天皇が神道にのっとって土葬になり、火葬は廃止されていく。
大正時代に「皇室喪儀令」が整備され、天皇と皇族は土葬による葬儀が行われることが決定した。戦後はこの法律は廃止され、皇族の葬儀は火葬が定着するが、天皇と皇后のみ土葬が続いてきた。宮内庁によると、歴代天皇122人のうち、土葬は73人、火葬は41人、不明が8人だそうだ。週刊朝日は昭和天皇の葬儀と陵の造営でかかった費用は計100億円だったと書いている。天皇と皇后の温かい夫婦関係が伝わってくる、いい話である。