山崎豊子「小説書くの6、7年がかりなの」人生すべてを執筆に注ぎ込んだ執念と自負

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   作家の山崎豊子さんが2013年9月に88歳で死去した。「白い巨塔」「大地の子」「沈まぬ太陽」「不毛地帯」といった長編小説はドラマなどでもよく知られいているが、その「舞台裏」や「最期の日々」を「クローズアップ現代」は取り上げていた。

3年かかって300人以上の孤児取材した「大地の子」

   中国残留孤児を描いた「大地の子」は『文藝春秋』に連載されたが、当時の担当編集者だった平尾隆弘・文藝春秋社長は連載開始にあたって自宅に赴くと、開口一番、こう言われたという。「私はひとつの小説を書くのに6、7年かけている。この作品が失敗したら、その6、7年がパーや」

   それが強く記憶に残っている。

   実際に連載中は作品に集中し、他の短編小説をひとつも書かず、エッセーも「大地の子」関連のものだけ、講演も対談もしないと徹底していた。「こういう作家はほかにいないのではないか」「すべての人生の時間、経験、持てる限りの情熱をひとつの長編小説に全部注ぎ込むんだという強烈な自負があった」と言う。

   小説を書く上で、山崎がこだわったのが徹底的な取材だった。大地の子は1984年に取材を開始。3年がかりで中国の貧しい農村地区を回り、300人以上の孤児から話を聞いたという。事実を集め、そこからイマジネーションを働かせて、こんな事実があるのではないかと事実を掘り起こそうと取材を重ね、その往復運動を繰り返していた。

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