400年ぶりに土葬から火葬にし、陵墓もお二人が寄り添って並び小ぶりなものに―。宮内庁は14日(2013年11月)、天皇皇后両陛下の意向を踏まえ、崩御された際の葬儀や陵墓のあり方について方針をまとめ発表した。
武蔵陵墓(東京・八王子市)地内の大正天皇陵西側3500平方メートルの敷地に、天皇陵と皇后陵が寄り添うように並べられて整備される。大きさは昭和天皇と香淳皇后陵の敷地合計4300平方メートルの8割程度という。
当初、天皇陛下は皇后さまとの合葬を望まれたが、皇后さまが「おそれ多く、ご遠慮したい」と辞退され見送られた。理由は「自分が先立った場合は、陛下の在世中に陵が造られる」ことへの配慮だったという。
400年ぶりの歴史的変更
火葬は仏教の影響から持統天皇がはじめて導入し、天武天皇の棺の横に持統天皇の遺骨を入れた器が並べられる合葬の形が取られていた。その後、火葬と土葬の混在が続き、最後に火葬の形が取られたのは後陽成天皇(1617年没)だ。以来、土葬が行なわれており、その意味で今回の火葬は歴史的な変更といえる。
ショーン・マクアードル川上(経営コンサルタント)「今の社会状況や環境、合理性みたいなものをしっかり捉えられていて、天皇制のあり方も今の社会との折り合いを常につけていこうとされているのかなと思いました」
深澤真紀(コラムニスト)「最初から象徴天皇として即位された方ですし、国民とともにどうあるかということをものすごく考えていらっしゃる。私たちもきちんと受け止めさせていただけなければいけない」
文
モンブラン| 似顔絵 池田マコト