死ぬ覚悟だった田中正造
要は天皇に手紙を渡すという行為だ。奈良、平安の昔から、天皇に声をかけたり、モノを手渡すことができる人は限られている。時代によっては、直接見てもいけない人だったが、これはしきたりの問題だ。かつて足尾銅山の鉱毒問題を訴えた田中正造が明治天皇に直訴したとき、このしきたりを破ることで田中は死ぬ覚悟だった。しきたりはそれほどのもので、憲法で「象徴」となったいまも生きている。足尾銅山問題で田中が訴えた内容に異論を挟む人はいまい。といって、福島の問題を天皇に訴えることがどうなのか。このあたり、しきたりとは別に 考えないといけない。
文
ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト