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タモリ数少ない女性スキャンダル!事務所社長が土下座して立ち消えた女性誌記事

   タモリの長寿番組「笑っていいとも!」がマンネリと低視聴率のため幕を降ろすことが決まった。タモリは私と同じ昭和20年生まれで、吉永小百合も同年である。三羽烏といわれたたけし、さんまと違って、女性スキャンダルを聞いたことがないが、最後っ屁のように『週刊文春』と『アサヒ芸能』が昔々の淡いスキャンダルを報じている。

   週刊文春は、30年ほど前、東京・青山にあったクラブの女性といい仲だったのではないかと、こう民放関係者に語らせている。<「その店で『ひとみちゃん』という二十代半ばでスタイルのいい美人がいたのですが、当時すでに結婚していたタモリといい関係になった。当然、仲間たちは他言することはなかった」>

   もう一人のベテラン芸能記者が続ける。<「ひとみちゃんのマンションは代官山の路地裏にあり、タモリが不定期で、部屋に通う『お忍び』パターンでした。当時のタモリはテレビではサングラスでしたが、普段は普通のメガネに替えたり、髪型もオールバックを崩すため、気づかない人も多かった」>

   女性誌によって2人の仲は暴かれそうになるが、タモリが所属する事務所の田辺昭知社長が編集部に飛んできて土下座せんばかりに懇願したため、話し合いの結果、タモリの過去の話ということになり、さほど騒がれることもなかったという。

   アサ芸のほうは16年ほど前の話。フジテレビ関係者が明かす。<「相手は年下の料理研究家でした。有名文化人の娘で、海外から帰国後、タモリさんから仕事面でバックアップを受け、いつしか都内の最高級億ションで週末婚のような関係になったと噂されました。長期間追跡を試みた写真誌や女性誌は多いものの、全て空振りだったといいます。タモさん側は追跡者のナンバーを割り出すなどの対策を練っていたそうです」>

   真偽のほどは定かではないが、サングラスも気の弱さを隠すためだろうから、女性との付き合いにも殊の外慎重だったのではないだろうか。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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