米大リーグ・ワールドシリーズはきのう31日(2013年10月)、ボストンレッドソックスがとった。6年ぶり8度目の優勝だが、ホームで決めたのは95年ぶりという。記念すべき試合で、9回を3人で締めた上原浩治が日本人初の胴上げ投手となった。
一夜明けたボストンで、地元紙の1面を飾ったのはキャッチャーに抱きついてガッツポーズの上原の写真だった。全国紙の「USA Today」も同じだった。自ら「雑草」と呼ぶ38歳。実にいい笑顔だった。
高校時代も甲子園と無縁の無名のバッティング投手
1998年にドラフト1位で巨人に入団し、このとき「桑田(真澄)さんが目標。雑草魂でがんばりたい」と語った。1年目に20勝をあげて沢村賞に輝き、見事に桑田のあとの巨人を支えた。
大阪・寝屋川市出身で、中学校には野球部がなく陸上部だった。高校で念願の野球部に入ったが、甲子園とは無縁で無名のバッティング投手だった。浪人して一般入試で大阪体育大に進み、ここで開花した。日本代表での活躍が巨人につながる。09年に大リーグ・オリオールズに移籍するが右肘腱を断裂し、リハビリを経て移ったレンジャーズでも実績を残せず、レッドソックスがいわば「最後」だった。
しかし、雑草の初心は変わっていなかった。27試合連続無失点を記録して「守護神」の地位を確立。4勝1敗21セーブ、防御率1.09は圧倒的だ。37打者連続アウトというのもあった。アメリカンリーグのチャンピオンシップでも1勝3セーブでMVPを獲得した。
「正直、実感がない。目標ですらなかったんで信じられない出来事」
表彰の場では長男の一真くん(7)が、テレビの女性アナに「Excited」などと答えて大ウケ。優勝を決めたこの日も、「お父さんどうだった?」と聞かれて「Good」、「どうお祝いするの?」には「Crazy(めちゃめちゃに)」とぶっきらぼうな英語がグー。
上原は試合後、「正直、実感がない。目標としていろんなものを置いてるけども、(ワールドシリーズ優勝は)目標ですらなかったんで、信じられない出来事だ」と話す。「最後に獲ってくれたレッドソックス」に感謝という気持ちが話の端々にうかがえた。
スタジオで大魔神・佐々木主浩が「精神力ですね。テキサスで打たれて怖さを知って、それを乗り越えた」「コントロールがよかった。もともとよかったのがさらによくなった。それと配球ですね」と目を細める。
与良正男(毎日新聞論説委員)が言った。「雑草なんだよね。高校時代は無名で…。思い出すのは、巨人時代に監督にいわれて敬遠したときのこと。ペタジーニだったか、本塁打王争いで。そのとき泣いたんだよ、悔しくて。役に対する思いの強い人。よかった」
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