打撃の神様・川上哲治が亡くなった。93歳。赤バットの弾丸ライナーで日本のプロ野球界初の2000本安打を達成した。監督としては、長嶋、王を擁してV9の金字塔を刻み理詰めの野球は強いけど面白くないともいわれた。いろんな人が追悼の言葉を寄せたが、面白かったのは名投手・金田正一だった。
堀内恒夫「怒られてばっかり。ほめられたことなかった」
大往生だった。28日の月曜日(2013年10月)に老衰のため都内の病院で亡くなった。川上のことをいまさら並べてみてもしかたがない。それよりさまざまな言葉を紹介しよう。
長嶋茂雄「私にとって、とてつもなく大きな存在でした」
王貞治「勝負に対する執念を徹底して教えていただきました」
巨人の現監督・原辰徳は「永久に燦然と輝く大先輩でした。お疲れさまでした」と相変わらず面白くない。堀内恒夫は「怒られてばっかり。ほめられたことなかった。川上さんのもとで野球やってなかったら、こんな成績もでなかったし、いい加減で終わっていたと思う」と話す。
野村克也「子どもの頃、『赤バットの川上』『青バットの大下』に憧れてましたよ。もう1回お会いして『真の野球学』を直接聞いてみたかったですね」
「川上さんは強い選手をライバル球団に行かせないために巨人に入れた」
スタジオに金田正一(80)が現れた。ヨッ、金やん!。北川正恭(早稲田大学大学院教授)が「巨人相手に快刀乱麻だった金田さんが、なぜ巨人にいったのか」と聞いたものだから話が飛んでしまった。
金田「いつも聞かれるんだよ。これはチームを乗っ取られたんです。産経グループの水野成夫さんが政治家とつるんで」と、ここから話が止まらなく なった。「もの凄い惨めな思いをしたんです。私がいる限り国鉄のイメージが消えないから出したかった。で、大歓送会を開くからと…、そういう人たちがたらい回しにして今のスワローズがある。では、どこへ移籍するかとなったとき、中日さんにも誘われて(笑い)、行くところは巨人しかなかった。川上さんが一生懸命誘った」と、ようやく川上の話に戻った。「お金がないから工面しようとオーナーに頼んでくれた」
ここから、「裏話があって」と本題に入った。「川上野球というのはね、強い選手をとるんじゃなくて、相手にとられるのを恐れた。私に中日に行かれたら、完璧に巨人の優勝はなかった。それくらい力があったんだ、この人は」
そうやって有力選手を巨人に引き込んで、ONの陰で何人の選手が飼い殺しにされたか。
「400勝したら、区切りがいいから引退しろって…。そのあと面倒見てくれない」
金田「17歳でプロに入った時、川上さんは30歳。自分はこういう性格だから、赤バットでもなんでも突っかかっていったから、こんな強いピッチャーができた」
司会の井上貴博アナ「川上さんはバッターとして何がすごかったんですか」
金田は「バッターボックスに入ったら動かない」といい、立ち上がって形を示す。「私の球は速かったが、インサイドに投げてもよけない」「振り遅れでレフトに飛んでテキサスヒット」
井上「ポテンヒットですよね。他の選手にはできないのですか」
金田「できなかったんじゃないかな、器用なことが。ボールを振らない、三振しない」
荻野アンナ(作家)「ボールが止まって見えたとか…」
金田「ボールを引きつけて打てば止まって見える。みんな知ってるが、川上さんが言うから通じる。雑魚がいってもだめ」(大笑い)
高畑百合子アナ「やんちゃな金田さんをどうコントロールしたのかしら」
金田「やんちゃと誤解されるが、プロに徹してるということなのよ。巨人に入った時、『ビールを飲むな』とか『何するな』とかばっかりだったから、ビー ルは健康のために必要だから飲むとか条件付けて改善された」「34歳で引退することなかったんだけど、川上さんが締めくくりをやった。400勝して区切りがいいから引退しろと。気を使ってくれたが、 引退後の生活はだれもみてくれない」(爆笑)