<R100>
分かる奴だけに分かればいい…松本映画ここまできたか!観客の「金返せ」も計算の内

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(C)吉本興業株式会社
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   家具店に勤務する平凡なサラリーマンである片山(大森南朋)には妻(YOU)がいる。ただ、妻は病院で寝たきりの状態で、片山が話しかけても返事はない。勤務先と病院を往復する毎日を送っていた片山はある日、秘密クラブ「ボンテージ」に入会する。契約は1年で退会は不可だという。クラブから派遣されたSMクラブ風の格好をしたさまざまな女性たちが片山の前に現れ、「プレイ」は次第にエスカレートしていくのだった。松本人志の監督4作目だ。

怪しいクラブに入会して始まる「虚の世界」

   この映画をざっくりと評するならば、「S」と「M」という分かりやすいようで、抽象的な要素をメタフィクションとして提示させた劇中劇と言えばいいのだろうか。過去の作品との違いは、キャストの芸人色が一掃され、実力派俳優が顔を並べていることにある。

   『大日本人』の皮肉に対して、今作は普通のサラリーマを描き、日常の中から直接的に主張を浮かび上がらせようとしている。「これはフィクション」ですよと意図的に観客に知らせることで、虚構と現実の交錯で監督の言いたいことを炙り出すという手法だ。それは分かりやすく、それほど毒々しくもない。メタフィクションは潜在的に皮肉を孕むので、皮肉が表に出すぎると「観客への喧嘩の売り方」が安っぽくなってしまうということなのだろう。

原作なしで撮り続ける松本人志の映画こそ貴重

   「どうせお前らには理解できない」というメッセージが分かりやすいので、お金を払った観客が憤慨してもそれは仕方がない。松本監督が作中で話のスジに影響を与えない役で出演していて、この虚構を悦に入っている人物が違う役者であることに、自己言及が崩壊しているという観客もいるだろう。だが、「お前らには分らない」と決め込んで映画を製作することは、間違っていない。松本監督や本作云々ではなく、映画監督を目指す――映画の世界で本気で生きていこうとする人間は、社会的な欠落者である。まっとうに社会と共存できていれば、映画など撮る必要がないのだからだ。それでも映画にしがみつきたいと思う気持ちは100人いて1人に伝われば十分だろう。視聴率の世界から入り込んできたテレビの世界の人間が映画界の主流になってから、100人いて100人に分からせようとする映画が増えすぎた。作り手も観客も大多数的な映画を作り、観るようになる。皆が同じシーンで驚き、皆が同じシーンで笑い、皆が同じシーンで泣くという映画が主流になってしまっている。

   「R100」は筆者にとっては傑作とは程遠い。だが、画一化された映画を観て満足している観客にネットなどで低く評価されている松本人志監督が、小説やコミックなど原作がある作品で映画を撮っていないことこそが、日本映画界にとっての希望であると信じている。

川端龍介

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