山崎豊子「取材魔といわれるくらい資料読んで、聞いて歩くことが好きなんです」
<女性の読者の方から、なぜもっと、ベン・ケーシーのように正義感に満ちた医者を書かないのかと詰問された。(中略)しかし、権力と名声に包まれた財前教授のような医者の心の中にある醜い欲望や冷酷さは、小説という形の中でしか強烈に描き出せない。
それで私の心の中にある主人公は、里見助教授でありながら、あえて財前五郎を強烈に描いたのですと、その女性読者に答えたことがある」(『山崎豊子 自作を語る2大阪づくし 私の産声』小社刊)>
これは『週刊新潮』にある「『白い巨塔』を書き終えて」という中の一文である。作家・山崎豊子さんが亡くなった。享年88歳。「華麗なる一族」「沈まぬ太陽」など、いまでいうノンフィクション・ノベルの大家である。徹底的に取材をして、それをもとに書き上げるテーマは戦争、医療、新聞と幅広く深かった。
「私は取材魔といわれるくらい好きなんですね、資料読んで、問題点つかまえて聞いて、取材して歩くことが。また、取材している間にいろんなことが生まれてくるんです」
1冊書き上げるのに300人以上の人を取材したという。
日系二世の悲劇を書いた「二つの祖国」についてこう語っている。「結局、『二つの祖国』という小説は四つから成っているのです。強制収容所、太平洋戦争、広島の原爆、そして東京裁判です。この四つを上手く、ドラマチックにつなげられた場合にのみ、この小説は成功するのであって、収容所だけ、広島の原爆だけ、東京裁判だけでは幾多の名著が出ている。
四つを一つのモチーフのもとに大きな環としてつなげられるか、つなげられないかが、小説の勝負どころだったんです」(『作家の使命 私の戦後』)
現在、週刊新潮に連載中の「約束の海」は第1部20回分は書き終わっているが、その後はない。「暖簾」「ぼんち」に始まる山崎作品の新潮文庫の総計は2000万部を超えるという。司馬遼太郎を失い、唯一人残った国民作家をまた失ってしまった。