「半沢直樹」が人気になるわけだよ…血も涙もない非情銀行「晴れた日に傘差し出し雨の日に取り上げる」
NHKの朝ドラ「あまちゃん」はもうすぐ終わってしまうが、TBS系の「半沢直樹」は絶好調である。「やられたら、倍返し」という決めぜりふが小気味いいが、裏返せば、庶民の銀行に対する恨み辛みが根強くあるからに違いない。銀行に半沢なんか一人もいないと、週刊新潮が銀行の血も情けもない非情ぶりを特集している。なかでも、大阪の「第一メリヤス」という中小企業への仕打ちはドラマにしたくなるほど酷い。
「いつまで不況業種の最たる仕事をやっているのか。りそな銀行は今後一切、1円たりとも融資しない」
りそなの支店長は声を荒げたという。
大阪枚方市にある「第一メリヤス」は年商1億7000万円の老舗アパレル会社で、大和銀行(現・りそな銀行)の地元支店長からマンション建設の話が持ち込まれたのは1999年のことだったという。第一メリヤスには枚方市のJR津田駅前に3700坪の所有地があった。うち約500坪を使って6階建ての賃貸マンションを建設し運営しろというのだ。建設には5億円から6億円が必要なので、社長は断り続けたが、支店長がしつこく勧誘し、融資の大半を住宅金融公庫から35年ローンでつけるというので呑んでしまったと、当時の社長の実弟・小久保貴光氏が話す。
それから2年半は何事もなく過ぎたが、その間に大和がりそな銀行になり、03年5月には一時国有化された。そして新支店長が来てこういい放ったという。「繊維に未来はない。これを機に本業を廃業しろ。軟着陸のための資金は協力する。たかがメリヤス屋の分際でマンションを建てること自体が分不相応なんだ」
当時の社長はこの言葉に大変なショックを受けたそうである。小久保氏はこう語る。<「『なぜですか。今まで、りそなさんに迷惑をかけたことは一度もない』と狼狽する兄に対し、支店長はさらに追い討ちをかけました。「今後、取引は停止。うちは貴社の債権を整理会社に移管する」と。兄が必死で「そんな無茶な」とすがると、彼は『貴社は破綻懸念先だから、こうせざるを得ない』と言った。
ここで初めて、うちが破綻懸念先に分類されてることを知った。支店長は廃業資金を貸す気などなく、廃業させた上で、マンションを売却するしかないように仕向け、融資資金の期限前返済を迫ったのです。卑劣で狡猾な貸し剥がしです」>
結局、マンションを売却したが2000万円を超える残債が残った。兄はその後胃がんが見つかり、翌年に脳内出血で倒れ、「あれは銀行のあるべき姿ではない」と怨みながら60歳で亡くなったという。
岡山県にある「林原」がおととし2月(2011年)に会社更生法を申請して倒産したケースも取り上げられている。「林原」は「夢の糖質」といわれたトレハロースの量産に成功し、抗がん剤のインターフェロンなどの生産も行い、年間600億円を売り上げていたから、破綻は大きな衝撃であった。経済誌記者は銀行のやり方に疑問を呈している。
<「林原では、資産売却や会社そのものが700億もの金額で売れたこともあり、弁済率が93%という過去に例を見ない驚異的なものになった。同時期に潰れた武富士などわずか3.3%ですよ。そういう会社を大騒ぎして血祭りに上げ、潰す必要が本当にあったのか、疑問でなりません」>
半沢直樹にこんな言葉が出てくる。「銀行は晴れた日には傘を差し出し、雨の日には傘を取り上げる」。こんな銀行ならいらないと思うのは私だけではないはずだ。だから「半沢直樹」が多くの人に見られるのである。