「またしても心配なデータが発表されました」と小倉智昭キャスターが眉をひそめる。福島第一原発の放射能汚染水漏れ問題は連日のように「とくダネ!」でも伝えられてるが、その深刻さというのはなかなか伝わりづらいところがある。
対策まったく見通しなしでも「なんとかなるだろう」
2011年3月11日の事故の直後、原子炉や燃料プールから放射性物質が爆発的に拡散するといった可能性は、少なくとも東日本の人間にとって喉元に刃物が突きつけられたかのような恐怖を感じさせた。それにくらべると、汚染水問題の恐怖というのは、ズラリと並んだ汚染水タンクを除けば、ただちに目に見えてはいない。見えない真綿で首をゆっくり静かに締められてるようなものであろう。
この問題が解決に至る道筋や行き着く先は今のところ見えないが、一方で海は広いし大きいし、放射能の何百トン、何億・何兆ベクレルという数字も、日本人はもう慣れっこである。事故直後は「大騒ぎ」していた人でも、昨今は汚染水が多少漏れててもそのうち誰かがなんとかしてくれるだろうと、悠長に鷹揚に構えている人が少なくないようだ。
奇しくも、小倉が「(汚染水に)世界中が注目しています」と言うように、国内よりも、むしろ近隣諸外国などの「大騒ぎ」によって、事故以降の日本人がどれだけ放射能に対するバッファーを削り、異常な事態に慣れてしまったかを思い知らされる次第である。もっとも、国内では外国人がなにをいまさら大騒ぎしているのだろうと不思議がってる人が大半かもしれない。
文
ボンド柳生| 似顔絵 池田マコト