藤圭子・実兄の恨み「宇多田君(元夫)は生きてるときも死んでからも利用。もう妹を返して」

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宇多田ヒカルのブログ「彼女の最後の行為はあまりに悲しく…」母を彼女と呼ぶ哀れ

   娘・ヒカルも結婚・離婚を経験し、3年前に母親同様、突然無期限の音楽活動休止を宣言し、今は8歳年上の福田天人氏とロンドンに暮らしているという。「二人が同棲を始めてからのことです。ある夜、突然、藤さんがいらっしゃったんだそうです」と語るのは福田氏の祖母である。恋人の母親の急な来訪。当然、福田氏は驚いた。そんな困惑をよそに、こう藤は告げたそうだ。

「娘を、よろしくお願いします」

   これだけ言うと、藤は帰っていった。

   藤圭子の家系は目が弱く、母親も盲目で長年付き人と生活を共にしていた。兄の三郎氏も加齢とともに視力が弱くなったといい、藤圭子も同様だった。宇多田ヒカルの「光」という名前は、圭子が娘の目にいつまでも光があるようにとの願いを込めて付けたものだという。

   三郎氏の宇多田氏を恨む口調は弱まることがない。<「彼が苦しむ圭子の傍らに最後までいてくれた人間だったら私は何も言いません。でも離婚して、娘とも会えず、圭子は孤独と絶望の淵に追いやられていた。そして死んでもなお、彼女は孤独のままなのです。
   宇多田君は藤圭子を四十年来応援してきた後援者の前で彼女のことを説明できるのか。天国のおふくろに顔向け出来るのでしょうか。そして、亡くなった圭子の顔をまともに見ることができたのでしょうか。彼には真実を話して欲しい。このままでは圭子は成仏できません」>

   藤圭子が誰にも知られず西新宿で過ごしていた日々 。ある知人は彼女のこんな言葉を聞いて、絶句したという。「日本は自由に見えるけど、厚いガラスの壁に囲まれた国よ。寂しい。毎日が辛い。誰も話す人がいないの」

   命までもと好いた男に捨てられても、京都から博多まで追っていく「バカな女」の怨み節は、他人から押し付けられた「借り着」だったのだろう。それを脱ぎ捨てたくてアメリカまで逃げていったのに、彼女が普通の女に戻ることは叶わなかった。

   娘の歌手としての成功は、彼女の中にかつての『悪夢』を甦らせたのかもしれない。そんな自分と葛藤している間に夫と娘は離れていってしまった。さすらい流れた果てに、彼女は新宿へ戻ってきて自死を選んだ。娘・ヒカルが藤の亡骸と対面したのは彼女の死から6日後である。ヒカルは自分のブログにこう書いた。

「彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」

   『彼女』といういい方が2人の距離を表しているようで、哀れである。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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