「好きなのはロック、演歌は仕事」
みなロックやポップスだ。「やり直せる人生」などという意味深なものもあった。もともと「好きなのはロック、演歌は仕事」といっていたという。だが、このアルバムは400枚しか売れず、2度目の話はなかった。自らがロックを歌うようにもならなかった。その思いが娘に向かったのかもしれな い。
98年にヒカルが「Automatic」でデビューする前まで「娘は才能がある」と売り込みに動き、デビュー後も指導していたという。しかし、ヒカルの側も思いは複雑だったようだ。家族の激しい衝突が藤の放浪の原因だったとも聞く。
宮崎哲哉(評論家)がきのうのヒカルのコメントについて、「『彼女と出会えたことに感謝』といっているが、普通、母親に『出会う』とはいわない。ここにある種の爽やかな澄んだものを感じた」という。
キャスターのテリー伊藤「藤圭子は普通の人とは違うマグマをもってた。それをもらった宇多田ヒカルさんは、これから恩返しだね。いい歌を歌ってほしい」
文
ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト