都会では厄介者。舞い戻った限界集落でさらなる孤立
週刊文春は「保見光成」と実名入り。取材時間があったせいか、保見の神奈川時代をかなり詳しく書いている。当時の写真も載っているが、角刈りにサングラス、背は180センチもあるからなかなか強面である。借りていた家の掃除は欠かさず、夕食の買い出しから弁当まで作り、盆暮れには一升瓶の付け届けを家主に欠かさなかった一方で、気にくわないと露骨に態度に出し、粗暴なところがあったという。
暮らしは豊かではなかったが、クルマにはカネをかけていたようだ。またこんなエピソードを彼の飲み友達だった男に話させている。<「保見の部屋で一杯やっていると、ヤツが嬉しそうに二枚の写真を出してきた。『これ、見てくれよ。俺が一人で実家に家を建てたんだ。鉄筋を組むところから全部俺がやったんだ』と誇らしげでした」>
室内には、年老いて介護が必要になった両親のために、バリアフリーを意識した工夫が施されていたという。彼が作ったカラフルで奇抜な外観が地元で話題を呼び、テレビにも取り上げられたそうだ。その後、彼は両親の介護のために約35年ぶりに故郷に舞い戻ることを決意する。しかし、35年という時間の重みをまるで保見は理解していなかったと書いている。
両親の介護をしながら、自宅を拠点に左官やタイル張り、家の修理などの仕事を請け負い、一時は「シルバーハウスHOMI」なる表札を出して高齢者向けの便利屋として活動していたそうである。だが、近隣とさまざまなもめ事を起こしていく。その頃の事情を知る関係者がこう語っている。
<「今から十年前、保見と貞森さんらが三人で飲んでる時に言い合いになり、激高した貞森さんが刃物で保見の胸のあたりを刺したのです。貞森さんはカッとなりやすい性格だったのですが、傷害罪で罰金刑に処せられています」>
またこんなこともあった。<「河村さんは保見宅の裏手に田んぼを持っていたのですが、農薬を撒いたら『犬を飼っているのに農薬を撒けば風が吹いてウチの方に来る。犬を殺す気か』と凄まれたそうです。それ以来、河村さんは、『金峰では農薬がやれん。文句を言うのがおるから』と田んぼ作りを止めてしまいました」>
ここは8世帯14人の村である。小学校の分校が閉鎖され、乗り合いバスの路線も廃止されてしまった。高齢者たちが鼻付き合わせて生きている村に突然舞い戻った若い男は、次第に浮いていき孤立を深めていったのであろう。こうした限界集落は日本のあちこちにある。今回のような悲劇を繰り返さないためにはどうしたらいいのか。ノンフィクション・ライターはこの事件を逐一取材して、その対策のための何かをわれわれに提供してほしいものだ。