ゴジラ松井秀喜(39)の引退セレモニーがニューヨーク・ヤンキースの試合前に行われた。引退セレモニーは日本人選手では初めてだ。球団の破格の扱いである。スーツ姿でカートに乗った松井が姿を見せると、スタンディング・オベーション。松井も手を振って応えた。
スタンドには「ありがとう松井」と記された日の丸やボードがある。これは日本人だろうが、背番号の「55」を掲げる地元ファンの姿も多かった。「ゴジラ」も「マツイ」の名もみんな覚えている。松井は「球場に入った瞬間から泣きそうでしたよ」という。まあそうだろう。
ジーターから手渡された背番号55のユニフォーム
去年(2012年)、10年に及んだメジャー生活に終止符を打った松井だが、うち7年を過ごしたのがヤンキースだ。セレモニーはヤンキースが松井と1日限りの契約をするという粋なはからいで実現した。
09年のワールド・シリーズで大活躍してMVPまでとったのに、その直後に契約打ち切りになった。以来、松井が花開くことはなかった。しかし、翌年に対戦で訪れた松井にチャンピオン・リングを渡してみたりと、彼の扱いはどことなく違った。
この日も、僚友ジーターが額に入れた背番号55のユニフォームを手渡した。09年に着ていたものだった。松井はそれを着て試合の始球式をした。ボールは低めのストライク。このために少し練習をしていたらしい。というのも、5月5日、長嶋茂雄・巨人終身名誉監督と国民栄誉賞を受賞したとき、始球式で暴投に近い球を投げてしまった。そこで、ヤンキースのマイナーチームで打撃投手を務めるなどしていたのだった。
巨人コーチ・監督の第2の野球人生
セレモニーを終わって松井は、「ボクがいちばん憧れた場所で選手として終れることは、これ以上幸せなことはないと思ってます」「ちょっと言葉にならないくらいの感動と、あらためて幸せな野球人生だったと思います」
司会の小倉智昭「ワールドシリーズでホームラン決めてMVPになった翌年に放出された。それだったら放出しなきゃいいじゃない」
田中大貴アナ「ここまでするんだったら、どうしてって思いますよね。巨人の監督、コーチの話がありますけど、ボクは1度ヤンキースのコーチをしてから帰ってきてほしい」
小倉「ヤンキースってのはやっぱり違うんだね」
田中「きのうヤンキース時代の松井選手の特集番組があったようなので、それを見たいですね」
小倉「これからどうするんだろうね。巨人ということもいわれているが、別にライオンズだっていい」(爆笑)
小倉はライオンズファンなのだ。それにしても、松井と契約を交わした金髪の女性はだれだったのか。満面の笑みで松井と握手をし、ハグまでしていたというのに全く説明がない。 こういう手抜きはいただけない。