4月14日(2013年)に急性呼吸不全で亡くなった演技派俳優・三國連太郎(90)のお別れの会が都内のホテルで先週金曜日(19日)に開かれた。800人近くが集まり、「海峡を渡る男 三國連太郎お別れの会」と名付けらえた。パナマ帽にパイプの遺影を飾った5000本は、1961年に三國が凶悪犯を演じた映画「飢餓海峡」の海峡の流れを表現したもので、喪主の俳優・佐藤浩市の発案だった。佐藤は会の後、「もう少し凪いだ流れでも良かったかな。でも、荒々しい方が三國らしくて良いじゃないですか」と語った。
息子・佐藤浩市とは死ぬまで続いた親子のすさまじい確執
三國は4回結婚したが、佐藤は3回目の結婚で生まれた子供だった。その佐藤と三國の親子の確執はすさまじいものがあった。佐藤は「普通、家族で囲む食卓は美味しい食事となりますよね。でも、三國が同じ食卓にいるとメシがまずくなった。早く消えてくれないかと思った」と語る1994年の映像がある。三國もテレビ番組で「彼には肉親だと思うなと伝えてある。彼に何が起きても、僕には助け船を出すことができない」と語った。
キャスターのテリー伊藤「佐藤さんは三國さんに対する恨みなど、複雑な思いの中から役者としての何かをつかみ取ったのでしょうね」
森圭介アナ「弔辞を読んだ西田敏行さんは、釣りバカ日誌のシリーズが始まるとき、仕事が終わった後のプライベートな付き合いは、お互いなしにしようと三國さんから言われていたと話していました」
司会の加藤浩次は「僕にはこの親子関係が理解できない。想像もできない関係です。親子の愛は本当になかったのでしょうか」
三國連太郎は映画・芝居を離れても三國連太郎を演じていたのだ。