ブエノスアイレスで妻と2人で暮らす医師アグスティンは、豊かな生活に不満はないが虚しさを感じていた。ある日、長年会っていなかった双子の兄ペドロが訪れ、末期ガンであることを告げて自分を殺してくれと懇願する。驚愕し困惑するアグスティンだったが、望みをかなえてやる。そして、自分が死んだことにしてペドロになりすまし、少年時代を過ごした島へ向かった。
南米特有の「不可解さ」楽しめるか…
一卵性双生児とはいえ、兄弟がまるまる入れ替わることなど不可能だが、不思議と設定をすんなり受け入れてしまう。それは、一人二役を演じたヴィゴ・モーテンセンの洗練された芝居の巧さだけではなく、キローガやガルシア・マルケスを生んだ南米文学が潜在的に持つ境界を超越した非規則的な世界(土地)が、映画の全体をメタファーで形成し物理的な不可解を呑み込んでいるからだろう。
「不可解な世界」を成立させてしまうのは見事だが、アグスティンがなぜ兄を殺しなりすますのかの説明は不十分で、深読みを求められる。アルゼンチンの経済不況で兄ペドロは教育を受けられず、アグスティンはそれを常に心苦しく思っていた。兄になりすまし、兄が受けていた仕打ちや犯罪との関わりを受け入れることで、わだかまりを清算しようとしたのだろうか。脚本が崩壊しており、どうとも取れるような作りになってしまっている。脚本の欠点はアグスティンの行動の不明瞭と一貫性のなさを生み、彼をただの狂人と思う観客もいるだろう。
子供嫌いだが小児科を営んでいたアグスティンは、自分ではない人間になることで自分を偽ることと決別したいと願った。描写が不足していたため、アグスティンに感情移入できなかったが、自分のことを「偽りのない人生」などと言える人間などいない。永遠の題材なのに、この映画はなんとももったいものになってしまった。
川端龍介
おすすめ度☆☆