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週刊誌はやっぱり事件ものでしょ!警官に不審尋問された駆け出し記者「失敗武勇伝」

   このところ事件を週刊誌が扱わなくなっている。事件取材は取材費が嵩んで手間もかかる。今はワイドショーで事件を毎日扱うから、よほどの大きな事件でないと部数には反映しない。しかし、事件取材は記者の取材力、編集者の判断力を養うのにこれほどいいものはない。新聞記者はサツ回り、週刊誌は事件取材で鍛えられるのだ。

   私がよくする話にこういうのがある。20代後半だった。有名大学の助教授が愛人だった女子大生とトラブルになり、彼女を殺して、妻と子どもを連れて一家心中する事件が起きた。私は同僚の記者と2人で事件現場と思われる東京近郊の野猿峠へ行ったが、記者会見に入れるわけでもないのでやることがない。会見に出ていた記者を掴まえて話を聞くのだが、犯人は死んでいるので、話が広がらない。

   さて困った。何かくわえて帰らないとデスクに怒られる。この事件の一番の関心は、彼女の遺体が埋められている場所がわからないことであった。そこで、相棒の記者と三鷹駅前でシャベルを買い、夜陰に乗じて遺体探しをやろうと考えた。警察が掘り返していないところを見つけて、懐中電灯も付けずに掘っていると、後ろから「貴様たち、何をやってるんだ!」という大声と、眩しい懐中電灯の明かりに照らされた。制服警官が2人、恐ろしい形相で立って睨んでいた。

   しどろもどろになるわれわれは、1時間ぐらい厳しい『お説教』を喰らって釈放された。社に上がってその話をすると、デスクは笑いながら「バカなことをしやがって」といい、「もしブツがあったらお手柄だったな」と肩を叩いた。「新聞記者と同じことはやるな」が先輩諸氏の教えだった。現場を重ね試行錯誤しながら自分のスタイルを築いていくのである。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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