あの銀座は遠くなりにけり…山口洋子さんの老舗クラブ「姫」も閉店
『週刊新潮』が相当脱力している。ワイドばかりで合併号のような作りである。一番大きな特集が「『東京五輪』百害あって利は僅少」では…。ワイドの中で気になったのが「『山口洋子』引退20年で閉店する銀座クラブ『姫』走馬燈」という記事である。
われわれのような世代には懐かしいクラブである。山口洋子さん(79)が19歳の時に開いた超高級クラブだ。彼女自身は酒が飲めず、烏龍茶で客の相手をしていたが、どんな話題にも合わせられ、マシンガントークだったという。彼女は作詞家としても名をなし、直木賞まで受賞している。
客には一流企業のトップばかりでなく、三船敏郎、菅原文太、勝新太郎などトップスターたちも挙って通った。作家も多かった。カネを払えば入れるという店ではなかった。彼女は1987年頃に高血圧脳症で倒れ、長い闘病生活で億を超える借金苦に見舞われ、93年に店を手放している。
私は「姫」に2回しか行ったことはない。山口ママとは店で話したことはない。当時、私が通っていたのは、もう一つの超一流店「JUN」のほうだった。ここの塚本ママとは大学時代から因縁があり、たまに顔を出しても請求書は送ってこなかった。
店は地下にあり入口に黒服がいた。新米編集者の頃、先輩や作家を連れて行くと驚かれた。下から塚本ママが上がってきて、元木ちゃん、お入んなさいと招いてくれた。政治家や俳優がひとりで来て、馴染みの娘と話し込んでいる静かな店である。何度行っても請求しないので、かえって行きにくくなってしまった。そう塚本ママに話すと、「JUN」出身の女性がやっている手頃な店を教えてくれた。まだまだあんたにはこの店は早いわよ、もっと出世してから来なさい。そう無言で教えてくれたのかもしれない。私が「JUN」に行けるようになったときには店を閉めてしまっていた。
「JUN」はだいぶ昔に消え、「姫」という名前も消えようとしている。銀座の灯を見ないと眠れない遠い日々があった。当時の店で今残っているのは僅かである。この女なら盗人しても貢ぎたいと思った女性も何人かいたが、すでに引退したか、いても往時の面影はない。月並みだが、銀座は遠くなりにけりである。