「これから本社とテレビ会議がある。多分、本社は海水注入を中止しろと言ってくる。そのことを自分はお前たちに伝えるが、それは無視しろ。原子炉を冷却するための海水注入は続けろ」
東日本大震災でメルトダウンを起こした東京電力・福島第一原子力発電所の所長だった吉田昌郎氏(58歳)がきのう9日(2013年7月)、食道ガンのために亡くなった
動揺するスタッフに「落ち着いて。一緒に深呼吸をしよう。ハイ」
事故直後、東電本店に吉田氏は「私たちにどうしろと言っているのか。指示が混乱している。最高責任者は誰なのか」と怒りをあらわにしていたが、動揺する原発のスタッフには「落ち着いて。一緒に深呼吸をしよう。ハイ、息を吸って吐いて」と気遣った。西村綾子リポーターは「テレビ会議で本社から海水注入中止の指示が来た時、吉田氏は事故処理の作業に当たっていた班長を呼び、大きな身体で班長を隠すようにカメラに背を向けて指示を与えたそうです」と伝えた。
「死の淵を見た男-吉田昌郎と福島第1原発の500日」の著者の門田隆将氏(ノンフィクションライター)は「吉田さんには2度インタビューをしました。事故直後は、とにかく最悪事態を避けたいというその思いだけだったようです」と話す。吉田氏は「「もう駄目かと何度も思いました。私たちのおかれた状況は、飛行機のコックピットで、計器もすべて見えなくなり、油圧も何もかも失ったなかで、機体を着陸させようとしているようなものでした」と語っていた。
東工大の院生時代に語っていた「原発では必ず何かが起こる」
西村「吉田氏は1979年に東京工業大学大学院を卒業して、大学院では原子力について学んでいたそうです。クラスメイトの話によれば、当時から原発では必ず何かが起きると周囲の人に漏らしていたそうです」
司会の加藤浩次は「東電は吉田氏のガン発症と原発事故による放射線被曝は関係ないとしているが、本当にそうだろうか。素人には信じがたい」といい、コメンテーターの宮崎哲弥(評論家)も「吉田氏は事故直後に発電所で働くスタッフたちを戦友と呼んでいた。壮絶な第一線の指揮官だった。元気になってもっといろいろな証言を聞きたかった」と話す。原発の安全神話のウソについても語る責任があったような気もするが…。