「伝統のある聖地での優勝は格別のものを感じます」
おととい7日(2013年7月)、テニスのウィンブルドン選手権車いすの部の男子ダブルスで優勝を果たした国枝慎吾選手(29)は、落ち着いた静かな口調で喜びを語った。ロンドンパラリンピック決勝戦で打ち勝ったフランスのステファン・ウデ選手と組み、2006年大会以来7年ぶり2度目の優勝だった。パラリンピック2連覇など数々の記録を誇る国枝にまたひとつ勲章が加わったわけだが、その原動力はどこからくるのか。
世界4大大会制覇し年間グランドスラム
車いすテニスは使用するコート、ラケット、ボールは一般のテニスと同じだが、大きな違いは返球が2バウンドまで認められている点だ。サイドステップができないので、正面に来たボールを打つときは後ろに回り込まなければならないなどの難しさがある。レポーターの大竹真が日本車いすテニス協会のナショナルコーチから特別に指導を受けたが、スタミナの消耗が激しい過酷なスポーツだという
国枝は9歳の時に脊髄腫瘍で歩行困難となり、車いす生活となった。11歳で車いすテニスを始め、めきめきと頭角を現した。20歳で出場したアテネパラリンピックのダブルスで金メダルを獲得、2007年には4大大会すべてを制覇する年間グランドスラムを達成した。世界ランキング1位になったが、思いがけない壁に直面した。「なんでテニスをしているかわからない時期がありました」
だが、世界ランク1位でもミスもするし、苦手なところもあり、まだまだやるべきことが残されていると気づいたという。そして、08年の北京パラリンピックのシングルスで金メダルを獲得し、翌年にプロに転向した。「障害を持つ子どもたちに夢を与えたいと思った」からだ。