「エンタ☆ビュー」コーナーのきょう27日(2013年6月)のゲストはあの人だ。原宿・竹下通り入口で待つ梅津弥英子レポーターの前に、「こんにちわ」と人混みをかき分けて現れた。やや大きめのリボンにTシャツ、Gパンのきゃりーぱみゅぱみゅだった。
「チームきゃりーのみなさんが本当に凄いのでいまの自分がある」
「つけまつける」「インベーダー」「PONPONPON」など、1度聞いたら忘れない独特の楽曲と奇抜なファッションやパフォーマンス。何をやっても「カワイイ」になってしまう不思議…。原宿系雑誌の読者モデルからCDデビューしてわずか2年でワールドツアーなんて、どう考えてもわからない。しかし、2011年10月には「ライブとか世界を回って、いろんな人に音楽と私と原宿ガールを知ってもらいたい。ターゲットは世界の人々」といっていた。今年20歳になったばかりである。
昨年出したファーストアルバム「ぱみゅぱみゅレボリューション」は63か国に配信され、アメリカ、フランスなどで1位を記録した。昨年7月にフランスで開かれた「Japan Expo」では原宿の「カワイイ」をアピールして、今年のワールドツアーではロンドン、パリ、ニューヨーク、ロサンゼルスと大人気だった。
「本当にいろんなことがあった2年間なので、自分でも信じられない」「基本的にPVやライブの雰囲気や構成は自分で考えていて、チームきゃりーのみなさんが本当にすごくて、私がいうより何十倍、何百倍よくして返してくれているので、今の世界観が生まれています」
最もこだわるのは色で、独特の色彩感覚がきゃりーの世界を作り上げるのだと話す。インタビューの場所に彼女が選んだのは原宿にある幼稚園だった。子どもたちの中に入っていって、「かわいい」と子どもを抱いたりほおずりしたり。 子どもに話しかけ、「名前知ってる?」「ぴゃむぴゃむ」「ありがとう。見たことある?」「かわいかった」「ありがとう」。一緒に遊戯をしたりそのままで質問にも答えた。
厳しかった母親への反発から奇抜なファッション
1993年に東京・武蔵野市に生まれた。おとなしく手のかからない赤ちゃんだったそうだ。幼稚園のころは身体も小さく泣き虫でもあったが、小学校では外遊びが大好きな元気な子だった。中学では陸上部で普通の女の子だったという。
「セーラームーンになりたいと思っていました。あれは変身だけど、私も衣装を着て舞台に立つと、きゃりーぱみゅぱみゅに変わるので、似てるかなと」
変わったのが高校時代だった。門限は午後7時で、8時以降は携帯禁止だったが、きびしかった母親への反抗もあって、奇抜なファッションで原宿に通い始めた。 西東京はのどかな田舎なので、奇抜な格好はいない。お母さんともめて、ルールを決めた。家の近所では地味な格好で、原宿で着替えることにしたのだという。
ワールドツアーはさすがに不安だったが、母が「本番に強いんだし頑張れるわよ」と励ましてくれた。幼いころバレエをやっていて、普段はダメでも、発表会に強かったのだという。きゃりーはこれからどこへ行くのか。
「武道館でライブしたとき、ハーネスつけて宙を舞って、妖精の粉をまく演出をしたら、5歳の子が『きゃりーさんは妖精で空が飛べる』といっていたと聞いて、子どもに夢を与えられるアーティストになりたいなと思ってます」
司会の小倉智昭「たいしたもんですよ、この人気」
梅津「きのう出たセカンドアルバム『なんだこれくしょん』は、オリコンで1位。111の国と地域に配信されて、マレーシア、シンガポール、台湾 のエレクトロニック・アルバム・チャートで1位をとってるというんです」
小倉「古市さん、知ってます?」
コメンテーターの東大大学院・古市憲寿に振ると、「知ってます。高校生の頃から読者モデルやってる尖った子だなと」
小倉「見てた?」
古市「見てました。ブログとかも やってたので見てました。こんなになるとは思わなかった」
菊川怜キャスター「外貨の獲得もすごい」
それより、カメラの前でも自分を作らず、子どもと遊ぶ素朴な女の子。その素顔がよかった。