松田聖子、桜田淳子、岡田有希子…娘のように育て去られた相沢秀禎アイドル作り人生

建築予定地やご希望の地域の工務店へ一括無料資料請求

   「サンミュージックプロダクション」の相沢秀禎会長が亡くなった。享年83。私は会ったことはないが、なかなかの人情家であったと聞く。桜田淳子、松田聖子、岡田有希子、酒井法子などの育ての親として知られる。自分のところのタレントを自宅に下宿させることでも有名だった。相沢さんの盟友、福田時雄さん(現・サンミュージック名誉顧問)がこう語る。

「相沢が下宿生活させたのは、一つは親御さんを安心させるため。一緒にご飯を食べ、悩みなどを聞き、精神薫陶を授けて育てるのが彼のやり方です。今とは違って、 1970年~80年代は一つの芸能事務所からデビューするタレントは1人や2人。だから下宿させることもできた。女性アイドルは、自分の娘のように育ててきました」

   だが、この人ほど所属タレントに苦しめられてきた人もいない。松田聖子は男関係が奔放で、何度も尻ぬぐいをしてやっているのに、突然、独立すると言い出す。いちばん惚れ込んだ聖子に離れられ、相沢さんは福田さんの前で泣いたという。桜田淳子は統一協会の合同結婚式に参加し、これも離れてしまう。のりピーこと酒井法子は2009年8月に覚醒剤所持で逮捕されてしまうのである。

   中でも岡田有希子の自殺は相沢さんにとって痛恨事であったろう。18歳の若さだった。自殺の原因は年上の俳優に惚れて、それが叶わなかったためといわれている。芸能ジャーナリストの本多圭氏はこういう。

「相沢さんは、当初、岡田さんの自殺について『自殺未遂して僕に何か言われると思い、突発的に飛び降りたと思った』と言っていた。が、その後、自殺の原因と思われることが書かれてあったノートが見つかった。そこには、はっきりと峰岸徹の名前が書いてあり、彼に対する恋心と、いくら想っても叶わぬもどかしさで、まるで真綿で首を絞められるような苦しみが綴られていたそうです。相沢さんは、それを読んで自殺は突発的なものではなく、思い詰めた末の行動だと分かったそうです」

   当時、峰岸は売れっ子の俳優で42歳。婚約者がいた。24歳も年下の岡田とは、ドラマ「禁じられたマリコ」 (85年11月から86年1月放送)で共演したのをきっかけに交際していたと報じられた。峰岸自身は「私は関係ない」といい続け、数年前に亡くなっている。あの世で、岡田、峰岸、相沢さんたちは、どんな話をするのだろう。

矢口真里に教えてやりたい立川談志の小咄「奥さんに頼まれ裸で洋服ダンス掃除」

   不倫現場を夫に見つかった元モーニング娘。矢口真里(30)と身長差「47・5センチ」の俳優・中村昌也の離婚が発表された。『週刊文春』によれば、<「事件が起きたのは、今年二月二十三日の朝、矢口は前日の飲み会から一緒だったモデルの梅田賢三(25)を家に連れ込んでいました。しかも彼女は朝には夫が帰ってくることを知っていたんです。なのに、前日の深酒が祟ったのか、二人は裸のままベッドで寝てしまっていたそうです」(事情を知る舞台関係者)>

   立川談志さんの好きなジョークにこんなのがある。亭主のいない間に若い男を連れ込んでいた女房だったが、急に亭主が帰ってきてしまった。女房はあわてて洋服ダンスの中に男を隠すが、すぐに見つかってしまう。若い男が真っ裸で、亭主にこういうのだ。「信じてはもらえないでしょうが、奥さんに頼まれて、裸で洋服ダンスを掃除してくれと頼まれまして」

   中村に踏み込まれた矢口と間男は、どんないい訳をしたのだろうか。聞いてみたいね。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

姉妹サイト