きのう28日(2013年5月)の産経新聞のトクダネは衝撃だった。日本政府の拉致対策本部が聞き取りをした北朝鮮の拉致実行犯の話だった。北朝鮮は日本漁船を襲って若い乗組員だけを連れ去り、あとは船ごと沈めて海難事故に見せかけていたというのだ。符合する不明船がたしかにあった。
脱北「朝鮮人民軍元幹部」が拉致対策本部聴取に実行告白
聴取に応じたのは脱北した朝鮮人民軍の元幹部で、証言によると、1980年代に青森沖で5人前後が乗った漁船を襲い、若い人間だけ北へ連れ帰り、 あとは船ごと沈めたという。青森では1980年10月に6人が乗った漁船が消息を絶ち、シケによる海難事故として処理されていた。今別町から釣り客を乗せて出たままになり、3日後に1人が遺体で発見されたが、船も他の乗組員も見つからなかった。遺体で見つかった人の家族は「死んじゃって、商売もやめちゃったし、人生みんな狂っちゃった。沈めちゃったなんて考えられない」と戸惑いを隠せない。
北朝鮮情報に詳しい「デイリーNK」の高英起・東京支局長は「おそらく同じ人物と話したことがある」という。人民軍で非合法工作活動に従事していたという最近脱北した男で、拉致の手口を語ったという。明け方、2~5人乗りの漁船をねらい、灯火を消して近づいて衝突させて乗込む。そこで年齢を聞いて、若い人だけを選んで拉致し、年寄りや抵抗した人間は船室に閉じ込めじたまま船に穴をあけて沈めたのという。
工作は「対日漁民作戦」とよばれ、工作機関の120人がこれに従事していた。1962年から85年くらいまでの間というから、始まりは金日成時代ということになる。特定失踪者問題調査会の荒木和博代表は「本当なら拉致の解釈を大きく変える」という。これまでは「寺越事件」のように、海上で工作船を目撃してしまって、証拠隠滅のために拉致されたと考えられていたからだ。
寺越武志さんは13歳だった1963年5月11日、石川県から2人の叔父と一緒に漁に出たまま不明となった。24年後、北で生きていることがわかったが、武志さんは「北朝鮮の船に助けられた」と話していた。しかし、調査会は人数でいうと30人以上は漁船の拉致に該当するのではないかとしている。
古屋圭司・拉致問題担当相は「信憑性も含めて慎重に検討していく必要がある。どうやって聴取したのかはコメントを控える」という。
1960年代から20年間。韓国の拉致被害も9割が漁船
司会の羽鳥慎一「事実だと衝撃ですね」
「コリア・レポート」の辺真一編集長は「ありうる」という。韓国の拉致被害者は500人くらいになるが9割が漁船。若い人をねらったというのは、日本の被害者17人が1人を除いて20歳代というのと符合する。
辺編集長「船で拉致する方が楽だろうし」
羽鳥「20年間やってた可能性があるということですよね」
宇治原史規(タレント)「ボクらこれを聞いて、『え、そんなことが』と思うんだが、日本政府までがボクらと同じだったら怖いですよね」
辺編集長「聴取が韓国で行われたのなら、韓国政府の協力があったということです」
赤江珠緒キャスター「なぜいまごろということで、飯島内閣官房参与の訪朝がかかわっているのでしょうか」
辺編集長「あると思いますが、だれがリークしたのかもあります。政府が認定した被害者だけで終わってしまわないように、ということも考えられます」
羽鳥「日韓協調していかないといけない」
萩谷順(法政大学教授・ジャーナリスト)「これは拉致じゃなくて殺人でしょ。日本人は怒りますよ」
産経新聞はけさ29日も「北朝鮮が陽動作戦として、日本の原発を襲撃計画」などと伝えている。どこまで本当なのか。何しろ北朝鮮は戦争しているつもりだからまともな対応は期待できない。