「人生最後のメニュー」あれが食べたい…終末期患者のリクエスト食に取り組むホスピス

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   「今、何が食べたい?」。栄養士の問いかけに82歳の男性患者は即座に「バッテラ」、別の63歳の男性患者は「妻と一緒にすき焼を」と答えた。余命に限りある終末期医療の現場で、患者の望む食べ物にこだわり、心のケアに生かそうという取り組みが始まっている。

   豪華な食事などではなく、バッテラに込められた患者の生きてきた証、元気な時と同様にまた妻と一緒にすき焼を突きたいという願い。「食べることと生きていることは非常に密接に繋がりあっているのです」と医師はいう。

「バッテラ」「妻とすき焼き」「ラッキョウ」…

   あるホスピスの調査によると、患者がわずかでも何かを食べられるのは「亡くなる5日前」が75%以上だ。死が近づくにつれてまったく食べられなくなる患者が増えていくが、それでも直前まで食べられる患者もいるという。痛みを取り除く新たな鎮痛薬がこの10年間に登場し、末期がん患者に多い食欲不振を和らげるステロイドホルモンという食欲増進薬もある。長期間服用すると副作用が出る可能性があるが、命に限りある患者にとってはメリットのほうが大きい。

   そうした死を迎えようとしている患者たちの最後の生活について、食事を通して質を高める取り組みを行なっているのが、昨年11月(2012年)に開設された大阪の淀川キリスト教病院「ホスピス・子どもホスピス病院」である。ベッド数15床、抗がん剤などあらゆる治療が効かなくなった末期がん患者が、限りある命を知ったうえで入院している。

「週に1度、患者が希望する食事を叶えるリクエスト食を提供しよう」

   池永昌之副院長から管理栄養士や調理師にこう伝えられたのは病院が開設される直前だった。

   ある金曜日、管理栄養士が末期のすい臓がんで入院している男性患者(82)に「何か召し上がりたいものはないですか」と聞きに行く。返ってきた答えは「バッテラ。サバ寿司ですね」だった。この患者が食糧難時代の若いころ、安かったバッテラでしのいでいるうちに大好物になったという。その生きた証のバッテラをリクエストしたのだった。男性患者は免疫力が低下して、3年前から生ものを控えてきたためバッテラを食べていない。

   翌日の土曜日がリクエスト食を提供する日だ。いつ急変するかもしれない患者の思いに応えるために、どんな料理でも1日で準備する。3人の調理師が午前中に買い出しに走り、サバを酢でしめて完成した。患者は3年ぶりに口にした大好物を全部平らげた。

「なんとも言えん。美味しかった気がしました」

   見舞いに来ていた妻も「嬉しいときは嬉しい目をする。目に力がありました。ありがたかったと思っています」と話した。この患者は6日前まで思い出の大好物を楽しみながら82年の人生を閉じた。

   池永副院長は「終末期を迎え、自分でできることがどんどん少なくなっていくなかで、食べることが自分で努力してできる唯一の手段、生き方なんです。ひと口食べることがきょう一日生きるための目標になっているんです」と話す。

   91歳の男性患者の希望は白いご飯。貧しさの中で初めて食べた白いご飯の感動を思い出したいと釜で炊いてもらった。食道がんで声が出ない80歳の男性患者が筆談で伝えたのはラッキョウ。1粒口に含んだのが最後の夕食になった。食道がんの末期症状でほとんど食べることができない63歳の男性患者は、「体力がなくなっていくのが辛い。少しでもご飯を口の中に入れて、歩けるようになりたい」と訴える。腸から直接栄養を取るために「腸ろう」を付けているが、口から食べたい。10歳年下で、闘病生活を支えてくれる妻に食べている姿を見せたいのだという。

   その男性患者から思いがけないリクエストが入った。「すき焼をお願いしたい。そこで嫁さんも一緒に鍋を突いて、2人にとっていい思い出ができれば、もうそれで…」

   さっそく和室に座卓を置いて料亭風にし、すき焼が完成。夫婦揃って鍋を囲んだが、男性患者が口にできたのは豆腐ひと口だった。それでも「嫁は本当に喜んで食べていた。それが一番やな」と話す。患者は10日後に亡くなった。

文   モンブラン
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