長嶋茂雄「栄誉賞セレモニー」終わって寂しい一人の夜...帰宅後は訪れる人なし

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張本勲「とにかく一茂が大バカ。あれだけの人をどうして他人が面倒を見てるのか」

   長嶋茂雄と松井秀喜の東京ドームの国民栄誉賞セレモニーは、安倍首相の政治利用が見え見えすぎて腹立たしかったが、長嶋の背筋がピンと伸びた姿勢と肉声には涙が止まらなかった。絶望的とまでいわれた脳梗塞から12年。自らに厳しいリハビリを課しての奇跡的な復活は、これこそ国民栄誉賞ものであろう。長嶋の不自由な体をかばい、自然な仕草で師を支えた松井もよかった。安倍首相のどや顔は見たくなかったが、いい授賞式であった。

   だが、週刊新潮によると、その日、ホテルで記者会見を終えたあと、長嶋は一人で自宅に帰り、その家を訪ねてくる者は一人もいなかったという。亜希子夫人は6年前に他界しているが、長男の一茂や次女の三奈も、他の子どもたちも顔を見せなかった。

   一茂は父親に無断でミスターゆかりのグッズを売り払い、父親を激怒させた。また、「長嶋茂雄」の商標登録を巡って一茂と三奈の間で揉め、訴訟一歩手前までいったこともあった。そのために、一茂は実家に近寄りがたく、双子の子供を父親に会わせられないそうである。長嶋と親しい張本勲氏がこう憤っている。

<「とにかく、一茂が大バカ者なんです。私は友人の『セガサミー』(大手パチスロメーカー)の里見治さん(会長)に頼んで、亜希子さんの縁の品は取り返してもらった。しかし、親父の分はダメでした。本当に不幸な家族ですよ。長嶋さんは何も言わないけど、寂しいに決まっている。子どもが4人もいるというのに...、あれだけの人を、どうして他人が面倒を見ているのか」>

   長嶋は毎日のように開門前の公園で1キロほどの早歩きをしている。厳しいリハビリにも週に4、5回は通っているという。栄光の背番号3番は何を思って歩いているのか。天覧試合のサヨナラホームランのことだろうか。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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