「あーあ、やんなっちゃった」で知られるウクレレ漫談の牧伸二(78)がきのう29日(2013年4月)、東京都大田区の自宅に近い多摩川にかかる丸子橋から飛び降り死亡した。警察では目撃者もいたことから自殺とみて調べている。2002年に脳出血で倒れたがリハビリに取り組み復帰を果たし、直前まで舞台に立っていた。ハワイアン調に乗せて社会風刺を歌い、多くのファンを楽しませた漫談家に何があったのか。
ケーシー高峰「病気の回復遅かった」。師匠の息子「身体壊してからギャグ出なかった」
おとといは東京・浅草の東洋館で客を出迎え、午後1時半から45分まで上野広小路亭で舞台。終了後にタクシーで再び浅草の東洋館へ向かった。舞台に出る予定だったが、「喫茶店に行く」といって姿を消した。自ら会長を務める東京演芸協会の会合にも出席しなかった。上野の舞台が最後になった。
「言葉も出ません。牧伸ちゃんと自殺が結びつきません」
同年輩でタレントの藤村俊二はこう述べたが、盟友というコメディアンのケーシー高峰は「(原因は)病気かなと思いましたね。回復が遅い。(去年2012年のパーティーで)随分、酒の量が多いなと言ったら、結構イケるようになったと言っていた。焼酎とワインのちゃんぽん。多すぎるから気をつけて、と言ったことがある」と話す。
牧の師匠の牧野周一の息子、宇野弘恭氏は「(ネタをつくるために)新聞5紙ぐらい見ていましたね。赤でチェックを入れて。しかし、身体を壊してからギャグが出なくなって、そういうみじめな姿を見せたくなかったんだと思います」と語る。
山手線ぐるぐる回って思いついた「やんなっちゃった!」
一世を風靡した「やんなっちゃった節」の誕生について、牧は「芸人というのは、何か一つを持っていると覚えてもらいやすい。山手線をぐるぐる回って人の話を聞いていると、『やんなっちゃった』と言う人がすごく多くて、これだと思いました」と明かしている。ネタは1500以上、常に時代の先端を捉え新しいネタに挑戦していた。
芸能レポーターの武藤まき子は「牧さんをよく知っていらっしゃる方は、最近は新しいネタを仕入れることができなくなって、自分の芸風も今の時代に受け入れられなくなってきたということもあって、ジレンマや限界を感じたのかなって、おっしゃっていました」
司会の小倉智昭「そんなに器用な方ではなかった。積み重ねて、積み重ねてつくる上げる芸が受け入れられなくなってくると、真面目な方だから重荷になったということかもしれませんね」
「やんなっちゃた節」にはこんな一節もある。「公約すぐわすれちゃう 政治家やっぱりボケるのか いいえボケちゃいませんよ 上に『ト』がつく『トボケ』だよ」
今もちっとも変らない政治の世界で、むしろいまこそふさわしいネタだ。
一ツ石