大島渚は何に怒っていたのか?「いまがダメなことを確かめ、不条理と闘おう」

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坂本龍一の弔辞「厳しく叱る人間がいなくなり、日本が少しつまらない国になった」

   大島の最後の闘いは病魔だった。脳梗塞で倒れ、3年のリハビリののちに撮った「御法度」(99年)で訴えたのは、バブル崩壊で活力を失った人々への危機感だった。「表現したかったのは、男たちの殺気なんだ」(前掲書)。リハビリ中のノートには、乱れた字で「夢」が繰り返し書かれていた。

   大島を知るノンフィクション作家の石井光太氏は「怒りが温かかった」という。「つぶされるような小さな物語を大切にして、それが正しいんだといろんな形でいってくる。そういう怒りだった」

   17歳から文通していたという映画監督の樋口尚文氏は、大学に入ったときにもらった言葉があった。「人がどこかへ行くのは、安住のためではなくて、そこがダメであることを確かめ、闘うためだ」。大島の怒りの本質は「右でも左でもない、細やかな思いがあった」という。坂本龍一氏も弔辞でいっていた。「あなたのように厳しく叱る人間がいなくなり、日本が少しつまらない国になったかも」

   こういう物わかりの悪い人間がときに必要になる。世の中が一斉にひとつの方向へ動きそうな、ちょうど今のようなときだ。

ヤンヤン

NHKクローズアップ現代(2013年4月25日放送「君は『怒るオトナ』を知っているか~映画監督・大島渚~」)

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