俳優の三國連太郎がおととい14日(2013年4月)、急性呼吸不全で亡くなった。90歳だった。個性の強い特異な演技の印象が強いが、息子で俳優の佐藤浩市(52)の言葉もまた十分に特異だった。
「死に目にはあえなかった。死顔を見て悲しいなという思いはなかったです。この数年のなかで、なぜかいちばん凛とした顔に見えて、不思議な威厳があって、感慨があって、ただ涙は出ませんでした」
リポーターから「どんなお父さんでしたか」と聞かれ、「ひどいよ、そりゃ」と笑った。「ボクとの間にあったのは役者という言葉だけ。父親像を世間一般にわかるように説明してくれといわれても無理ですよ」
互いに「三國さん」「佐藤さん」と呼び合う2人は、プライベートでは「彼はお前といい、ボクはあなたといってましたね」「最後に三國がいっていた。戒名も要らない、散骨して誰にも知らせるな。三國連太郎のまま逝くっていう。ホントあの人、三國連太郎で生きたんだな、孤高をズーッと守り続けながら芝居に関わってきたんだなと、死に顔をみて感じました」
三國「(佐藤の)映画は見るよ。本人は知らないだろうけれど」
佐藤が小学校5年生のとき、父は出ていった。そういう親子だった。ただ役者だけに、テレビに残った映像が見応え十分だ。佐藤が俳優を目指すと告げたとき、「親子ではないと思ってくれという宣言を2人で話した」と1999年の「徹子の部屋」(当時76歳)で話していた。「以後、いっさい芝居の話はしたことがない」とも言っていた。親子について思うことは他の人とは違った。86年の「徹子の部屋」(当時63歳)のやりとりはこうだった。
三國「役者は不幸な生き物で、親子という感覚で舞台に上がるとそういうものは全く消えてしまう。本当に役者同士というか、他人よりもっと冷静にお互いを見つめ合う」
黒柳「(佐藤を)よくやってると思いますか」
三國「そういうときがありますね。映画は見てますが」
黒柳「(佐藤さんは)それを知ってる?」
三國「いや、知らないでしょう」
2人が共演したのは96年の映画「美味しんぼ」だった。その製作発表で三國(当時73歳)は、「佐藤浩市君という人はボクの芝居を基本的に否定して今日までやってきたし、これからもそうすると思うが、こんなに憎しみ合いながら、親子という血を否定できない部分は、この映画を通してしか表現できない」といった。
佐藤(当時35歳)は「胸を借りるというとみなさん納得しやすいが、そんなことを言う気はさらさらないですし」と笑った。しかし、映画の完成試写会で三國は「親ばかといわれると困るが、ここまで才能を持った人なのかなと感じた」。佐藤は「想像していたよりもやり易さがあって面白かった」と受けた。