父親はやさしく息子を見つめ、息子は尊敬の眼差しでその姿を仰ぐ。そんな親子像が理想とされるなかで、このふたりは異色だった。俳優三國連太郎と、同じ俳優で息子の佐藤浩市(52)だ。おととい14日(2013年4月)午前9時18分、急性呼吸不全のため90歳で三國が死去した。
映画作りのため家族捨てて「家出」
きのう15日、報道陣から「お父さんとしてどんな人でしたか」と聞かれた佐藤は「ひどいよ、そりゃ」といったあと、「世間一般の親子ということでの会話はできないんです。僕と彼との間に介在したのは役者という言葉だけなんです。ですから、父親として、どうのこうのということはいま言えません」と語った。
ふたりの間には30年以上の確執があった。三國は4度結婚しているが、佐藤は3人目の妻との間に生まれた。小学校6年生のとき、三國は映画をつくるために家族を捨てて家を出る。その父を憎んでいたはずの佐藤も、19歳のときに同じ道を進むことを決意した。「そのことを告げたのは早稲田駅のホーム。三國はそうかと一言いって、電車に乗って行った」。まるで映画の場面だ。
アナウンサーの田中大貴が2人の関係を説明する。
1980年 佐藤デビュー
1996年1月 初共演。映画『美味しんぼ』。製作発表では握手もせず。確執する父と子を演じ、実生活のようだといわれた。
1996年3月 三國、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞。佐藤がプレゼンター役。
2000年1月 喜寿のパーティーで「和解」。お互いを認め合う。
「死に顔はこの数年でいちばん凛としていた。最後まで三國連太郎」
メインキャスターの小倉智昭はこういう。「三國さんは怪優といわれた人で、役者としては素晴らしかった。でも、男としての生き方は自由奔放でしたね」
芸能デスクの前田忠明「どっちかというと、ハチャメチャと言った方がいいですね」
コメンテーターの宋美玄(産婦人科医)はそんな三國に対する佐藤の心情を「どんな目に遭っても子どもにとって親は親。憎まれ口を叩いても、尊敬と愛情が滲み出ている感じですよね」とみる。
竹田圭吾(国際ジャーナリスト)は「こんな親父だったらとんでもないと思いますが、お互いが一流であるほどお互いを意識して、他の親子関係では得られないものがあったのではないか」
年を経てからのふたりの変化について、田中アナは「三國さんの側から歩み寄っていたのかなという感じを受けました。お孫さんのことを可愛がっていらっしゃったといエピソードもあるようです」と伝える。
佐藤は「死に顔はこの数年でいちばん凛としていた。最後まで三國連太郎で生きたんだなと本当に感じました」と述べていたが、父を送る何よりの言葉だろう。