「少なくとも10年先にならないと帰ってこられないのじゃないか」
東京電力福島原発事故から2年。立ち入りが厳しく制限されていた福島県浪江町の一部が1日(2013年4月)から昼間の立ち入りが自由になり、仏壇の掃除に来たという男性がこうつぶやいていた。
避難時のままのガレキ、除染、上下水道復旧…すべてこれから
立ち入り自由区域に番組リポーターの阿部祐二が放射線計測器を持って訪れた。映像に映し出されたのは、倒壊した家屋やガレキの山だ。道を少し外れただけで、草地には依然として高い放射線量が残っている。
浪江町は1日から3つの区域に再編された。引き続き立ち入りが制限される「50ミリシーベルト/年」超の帰還困難区域、日中のみ立ち入り自由の「50ミリシーベルト/年」以下~「20ミリシーベルト/年」超の居住制限区域、「20ミリシーベルト/年」以下の避難指示除準備区域だ。
日中のみ立ち入り自由になった区域は浪江町の8割にあたり、放射線量が比較的低い区域から立ち入りを緩和し、除染やインフラの復旧を進めて居住できるように戻そうというのである。
しかし、上下水道の復旧に2年、避難時のままのガレキの撤去や除染と難問が山積する。仏壇掃除に一時帰宅した冒頭の男性は、「ここに帰ってくるといっても、1年や2年では帰れない。早くても5、6年、10年先にならないと帰ってこられない」とタメ息をついた。昨年4月(2012年)に日中のみ立ち入り自由になった南相馬市小高区は、9か月が過ぎた今年1月になっても倒壊した家屋はそのままで、除染はまったく進んでいなかった。
文
モンブラン| 似顔絵 池田マコト