負けるべくして負けた侍ジャパン…「A級戦犯」山本監督の頓珍漢と東尾コーチでたらめ投手起用

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選手任せのあいまいサインでダブルスチール失敗

   WBC日本代表チームは負けるべくして負けた。野村克也元監督の言に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのがあるが、敗退はWBC開幕前から決まっていたと思う。

   開催前からケチがついた。収益金の分配や出場選手の報酬、待遇の格差を巡って日本選手会が参加拒否も辞さないという大騒動に発展した。結局、なし崩し的に出場が決まったものの全面解決にはほど遠く、WBCはMLB(メジャーリーグベースボール)の金儲け興行だというイメージが定着してしまった。

   それはチケットの高さにも表れていた。1次リーグの日本での試合は、一番いい席が1万4000円、外野席でも4000円もしたため、対中国戦では約36%しか席が埋まらなかった。

   決定的な敗因は二つある。一つは中心になる選手がいなかったことだ。第1回では王貞治監督、第2回ではイチローがチームを引っ張ったが、今回はそれほどカリスマ性のある選手や監督はいなかった。おまけに、フライデー(3/22号)で杉内俊哉と涌井秀章が女性とのツーショットを撮られるなど、選手たちの緊張感の欠如も心配されていた。

   いま一つは山本浩二監督の采配にあった。広島監督時代は10シーズンでリーグ優勝は1度、Bクラスが7度。加えて現役を退いてから長いため「現場勘」も心配された。

   オランダ戦に勝った後「準決勝も前田健太でいく」と宣言してしまったため、プエルトリコ側に研究する時間を与えてしまったのはまずかった。案の定、大リーグナンバーワン捕手、Y・モリーナは見事な投手リードで日本打線を翻弄した。

   さらに決定的なミスを犯す。準決勝で2点をリードされた日本が8回に1点を返し、なおも1死1、2塁で4番・阿部慎之助の打席のときにそれは起きた。左バッターだから捕手は3塁に投げやすい。したがって2塁走者は動かさないと野球フアンなら誰しも考えるところである。だが、山本監督から「ダブルスチールにいってもいい」という曖昧なサインが出されるのだ。2塁走者の井端弘和が走ったのを見た1塁走者の内川聖一は猛然とダッシュする。だが、井端はモリーナの強肩を恐れて2塁へ戻ってしまって、内川は2塁手前で憤死する。試合後、内川は涙に暮れたが、野球をよく知る人間は彼に同情するはずだ。『日刊スポーツ』(3月19日付)は「大ざっぱで、曖昧で、ギャンブルだった。(中略)選手がすべてを背負い込んでしまうような采配だった」と厳しく批判している。

   シーズン開幕を控え大物大リーガーが次々に出場辞退したアメリカは準決勝にも進めず、盛り上がりに欠ける大会だった。私見だが、公式シーズン前のこの時期にやるのをやめて、アメリカではワールドシリーズ、日本では日本シリーズが終わった後、真の世界1を決める大会として衣替えしてはどうか。そうすればサッカーWC同様、WBCが世界の関心を集める一大イベントになるのは間違いない。

   『週刊文春』は敗戦の「A級戦犯」は東尾投手コーチのデタラメな投手起用にあるとしている。どちらにしても不思議な負けではなかったのである。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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