東日本大震災・東京電力福島原発事故から11日(2013年3月)で2年を迎えた。地震発生の午後2時46分に各地で犠牲者への祈りが捧げられ、その模様を伝えた。
宮城県気仙沼市や岩手県陸前高田市などではサイレンとともに手を合せ、亡くなった妻や夫、わが子、両親、兄弟、知人らを悼んだ。東京・銀座4丁目交差点にある鐘が響き渡ると、通行人が立ち止まり手を合せる。運転中の東急電鉄の電車内でも黙祷が行われた。
日本人があらためて自分のこととして考える日
キャスターの小倉智昭が「福島第一原発4号機の中に入った体験に触れた。「原発内に入ったときのショックは大きかったですね。目に見えない(放射)線量を感じながら、この目でつぶさに原発の惨状を見たとき、これでいいのかと感じましたね」
漠然としていて、何がこれでいいのかは分からないが、運転停止中の原発がこのまま再稼動へ向けて突き進む怖さを感じたのだろうか。ならば、貴重な体験をキャスターとして番組に生かして欲しい。
竹田圭吾(「ニューズウイーク日本語版」編集長)は「日本のほとんどが当事者でないので、これまでの2年間というよりも、これから先なにができるかを考える節目だったのではないかと思います」と話す。
絶対に安全なものはないという新しい価値観
11日は午後3時過ぎまで赤ちゃんを取り上げる手伝いをしていたという産婦人科医の宋美玄は、「震災と原発事故で、絶対に安全だというものはないというふうに日本人の価値観は変わったのだと思います。その後でも、新しい命を生んでいこうという女性、親がいることが一つの支えかなと感じました」という。
笠井信輔アナ「久しぶりに依然訪れた店に行ったところ、『また来てくれた』と涙を流してくれました。繋がっていてくれること、忘れないで来てくれることを被災地の皆さんは願っている。まず足を運ぶこと、思いをはせることが第一歩になるのかなと思いました」
台風一過とか、ノド元過ぎればという言葉が使われるように、とかく日本人は嫌なことは早く忘れたがる。大震災は忘れて風化させてはいけないことがあることを気付かせてくれた。