福島第1原発の4号機の中にキャスターの小倉智昭がカメラとともに先週8日(2013年3月)に初めて入った。免震重要棟で防護服に着替え、車で向かったのは最初に水素爆発を起こした1号機。カバーがかけられ内部は見えないが、周囲の放射線量は1時間当たり300マイクロシーベルトと目に見えない壁が立ちはだかる。さらに進み3号機の前に来ると突然警報音が鳴った。「1200マイクロシーベルトです」という東京電力担当者の声だけが響いた。
足元の金網越しに1533体の使用済み核燃料
最も放射線量が低いという4号機に到着し、屋外に取り付けられた作業用のエレベーターに乗る。上へ行くほど線量が高くなり、屋上では200マイクロシーベルトあった。ここから140メートル離れた隣の3号機の建屋に計測器を向けると、450マイクロシーバルトに一気に跳ね上がる。
足元の金網越しに1533体の使用済み核燃料が入っているプールが見える。屋上から中へ入ると、水素爆発で原形をとどめていない無残な姿があった。
3時間いた小倉が浴びた積算放射線量は122マイクロシーベルトという。「目に見えない放射能の怖さを始めて知ったような気がします」と感想を語った。
4号機のプールの納まった使用済み核燃料は今年11月からクレーンで取り出す作業が始まるが、1533体を取り出すだけでも終わるのはいつのことか見当もつかない。
完全防護でも3時間いると1年分の被曝線量
小倉は翌9日、第1原発から6キロ離れた警戒区域の浪江町に入った。1年前にも来た廃墟になった小学校。小倉が気なっているという音楽教室に向かった。その黒板にはこんな文字があった。「絆」「いつでも夢を!!明日を見て!」「窓の風景が変わりますように!必ず来る明るい未来を信じて屈しない心」
救援に来た自衛隊員や警察の機動隊員が書き残したものらしい。小倉によると1年前より増えているという。
今、窓から見えるのは集められた瓦礫と森の後ろに立つ第1原発の4本の煙突だけ。この風景が変わるのはいつの日のことか。
小倉がこう話した。「防塵マスク、ヘルメット、防護服の上にさらに厚手の防護服を着ます。これから暑くなると1日に1時間か2時間が限度。300~400マイクロシーベルトもある中に、3時間もいたら1年分の許容量を越えてしまうんです。あの現場で見ると、なぜもうちょっと慎重に原発を建ててくれなかったと思います」
津波を甘く見た建屋や電源設備のお粗末さ。加えて、国会事故調でも指摘されなかった事故発生からメルトダウンを起こすまでの東電のミスの連鎖が明らかになってきた。この人災事故について国会事故調はもう1度、再調査すべきだろう。