完全防護でも3時間いると1年分の被曝線量
小倉は翌9日、第1原発から6キロ離れた警戒区域の浪江町に入った。1年前にも来た廃墟になった小学校。小倉が気なっているという音楽教室に向かった。その黒板にはこんな文字があった。「絆」「いつでも夢を!!明日を見て!」「窓の風景が変わりますように!必ず来る明るい未来を信じて屈しない心」
救援に来た自衛隊員や警察の機動隊員が書き残したものらしい。小倉によると1年前より増えているという。
今、窓から見えるのは集められた瓦礫と森の後ろに立つ第1原発の4本の煙突だけ。この風景が変わるのはいつの日のことか。
小倉がこう話した。「防塵マスク、ヘルメット、防護服の上にさらに厚手の防護服を着ます。これから暑くなると1日に1時間か2時間が限度。300~400マイクロシーベルトもある中に、3時間もいたら1年分の許容量を越えてしまうんです。あの現場で見ると、なぜもうちょっと慎重に原発を建ててくれなかったと思います」
津波を甘く見た建屋や電源設備のお粗末さ。加えて、国会事故調でも指摘されなかった事故発生からメルトダウンを起こすまでの東電のミスの連鎖が明らかになってきた。この人災事故について国会事故調はもう1度、再調査すべきだろう。
文
モンブラン| 似顔絵 池田マコト