震災復興急げ!街が消えていく…「先が見えないので心が折れてしまって」

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   司会のみのもんたがおととし6月(2011年)に訪れた被災地をきのう10日(2013年3月11日)に再訪した。がれきは片付いていたが、見えるのは更地となくなった家屋の土台ばかり。復興は進んでいるように見えない。

「ひどすぎるね、これ。荒涼とした土台だけの町はどうなるの。何だったのこの2年間の政治って。ふざけんじゃねぇといいたくなる。何兆円という予算はどこに使われたの。世界中から集まった寄付はどこへいっちゃったの」

商店街復活目指しても支給されない予算

   宮城の南三陸町では震災直後に生まれた赤ちゃんと再会した。3月16日生まれ。「男の子?女の子?」と聞いていたのは伊藤和美ちゃん。みのが「こんにちは」というとにっこりした。みのがちょっと涙ぐんだ。

   避難所だった中学は仮設住宅ができていた。一緒に写真を撮った田畑きよつさんが「あの時はどうも」と声をかけてきた。いま84歳だというが元気、元気。ただ、いつまでも仮設というわけにはいかない。

   気仙沼市では、街の真ん中まで流されていた漁船はみな港に係留されていた。がれきも消えた。ところが、商店街で再会した酒屋の浅野恵一さんは「先が見えないので心が折れてしまって」という。ここは土地を80センチかさ上げすることになっているのだが、区画整理の対象になった道路の向こう側は国費が出るが、浅野さんのところは自費なのだそうだ。「それはないよねぇ」とみの。

   復興商店街は復興予算が支給されなかったという。「使い道がちょっと違うと出ない」のだそうだ。被災後3か月でコンビニを再開して頑張っていた阿部建樹さんは、昨年12月、くも膜下出血で亡くなっていた。残された妻の富美子さんは「みんな不安で2年たっても心が癒されることがない」という。

   みの「『心が折れた』と聞いた時はドキッとした。おととしは一生懸命だったのに」

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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