怖くて、滅入ってしまいそうで、震災のニュース映像を直視できなかったという人にこそ見てほしい映画だ。津波の映像はいっさいありません。せいぜい300平方メートルの「遺体安置所」の中で行き交った感情の10日間の記録である。遺体搬送、身元確認、葬儀の案内などの担当となり逡巡する市職員、葬儀社社員たちの前に、「やるべし」の掛け声とともに地元の民生委員を務めていた相葉(西田敏行)が現れた。
「遺体安置所」で遺体と遺族をつなぐ…泣いてはいけない
物語は地震発生時の2011年3月11日14時46分の少し前の日常風景から始まる。ジャージ姿で卓球に興じる地元の老人会の面々。市の集会所の貸し出しの電話を受ける市職員。診察を行う医者、歯医者。彼らが住むのは釜石の町の「山側」だ。危ういところで津波の被害から免れた地域である。
地震の数時間後、「山側」の面々は「海側」の被害が想像を大きく超えるものだと知り、遺体安置所の管理を任される。だが、素人だらけの遺体安置所は混乱を極める。死後硬直の解き方も、ナーバスになっている遺族へのケアも何もわからない。その現場にボランティアとして入ったのが、西田演じる「相葉」だ。葬儀屋勤めの経験を活かし、遺族の心をほぐす相葉の姿に現場は感化されていく。
愚直な男の役に西田敏行はぴたりとはまっている。こういう場に必要なのは正義感ではなく、人のことを考えずにはいられない優しさ、傷つきやすさだと強く感じた。相葉も安置所の職員たちも特別に強靭な人たちではない。それだけに、ぎりぎりのところで「やるしかない」と自分を奮い立たせるシーンが印象的だった。知り合いが「ご遺体」となって運ばれてくる。その中で自分がやらねばならないことがある。涙を隠して立ち働くキャストの姿に、こちらも涙を我慢してしまった。
あれから2年…風化させたくないあの記憶と恐怖
ニュース映像で遺体の姿は流せない。おそらく、流さないのが正解だとも思う。映画だから取り上げることができたテーマだ。「現実はもっと過酷だ」「しょせん作り物じゃないか」という感想もあるのかもしれない。けれど、テレビも新聞も「生き残った人」を報じるので手いっぱいで、その裏で壊れる寸前まで自分に鞭打った人がいたことは知っておきたい。自身の想像力では埋められない部分がきっとあるはずだ。
震災後、ある小学校の「遺品安置所」を掃除する機会があった。学用品が泥まみれで並べられ、日めくりカレンダーが11日で止まっていた。ブルーシートの汚れがなかなか取れず、遺品のひとつひとつがずっしり重かったことを思い出した。震災から2年。どんどん生の記憶が遠ざかるいま、改めて劇場に足を運びたい。
ばんぶぅ
おススメ度:☆☆☆☆