大阪市立高校で運動部に所属していた生徒が自殺した件を機に、スポーツ界における暴力問題が注目を集めているが、そんななか「クローズアップ現代」は指導者はなぜ体罰を行うのかといったテーマを追求していた。スポーツ教育学が専門の友添秀則・早稲田大学スポーツ科学学術院院長は、日本の学校における暴力行為は歴史的にも大変根が深い問題だといい、その一例として戦前、戦時中の学校教練をあげた。
学校教練では軍隊の下士官が教育現場に入り込み、生徒たちを殴るといったことが珍しくなく、暴力に対して非常に寛容であった。友添院長はそれが戦後の学校、運動部活に引き継がれていったのではないかという。
体罰の大半「指導うまくいかずカッと感情的になってやった」
体罰は規律を守り、生徒に礼儀や世の中の仕組みを教えて、成長させるための「愛のムチ」であるなどといった説がある。大阪の事件以降も、指導者や政治家のなかにも、その正当性、必要性を説く者がある。会社のセクハラ行為が「愛情表現」などという言い草はいまどき到底受け入れられないだろうが、体罰は今でも一部では愛情表現として通用しているようである。
しかし、友添氏が実際に記録やインタビューなどで体罰を調べたところ、指導がうまくいかないのでカッと感情的になり手が出てしまったなどといったケースが多いという。
体罰は「勝つ」ために必要だ、あるいは必要悪だといったこともよく言われる。友添氏は「短期的には効果があると見られている」というが、「命令と服従による調教のような指導では、本当のスポーツパーソンは育たない」と指摘する。本来、スポーツは「明るく楽しく、知的で創造的な活動」であり、どうやったら勝てるか、記録を伸ばせるかといったことを戦略的に考え、実行していくところに本道があるそうだ。
結局のところ、スポーツ現場における体罰は、スポーツの価値を貶め、損なう愚行でしかないのではなかろうか。
ボンド柳生