愛のムチか暴力か…体罰なくならない一番の原因「定義の曖昧さ」

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   今週月曜日から続けてきた特集「教育プロジェクト『体罰』」の最終回は「体罰を受けた時、母親たちは何を考えたのか」がテーマだった。大阪市立桜宮高校に通う子を持つ母親3人に話を聞いたが、最初は全員が「体罰反対」だったのが、最後は「体罰はある程度やむを得ない」に変わってしまった。なにがあったのか。

   ゲスト出演した元ラグビー日本代表で芦屋学園中・高校の校長をしている大八木淳史氏は「体罰の定義が曖昧だ」という。

バイオレンスとパニッシュメント(処罰)は違う

   柔道女子のトップ選手による監督への告発、部活の顧問教諭による激しい制裁、罵声を浴びた教諭による平手打ち…この特集でもそうだが、すべてを一括りにして「体罰」を論じているため、堂々巡りの印象しか残らない。

   ただ、コメンテーターから出された意見は、家庭から教育界、スポーツ界にいたるまで、体罰について日本人が意識改革を求められていることを示唆していた。経営コンサルタントのジョージ・マクアードル川上はアメリカのケースをこう話す。

「人権を尊重するアメリカでも、50州のうち21州で体罰については一定の合理性を確保している。ただ、バイオレンスとパニッシュメント(処罰)は絶対違うとしています。愛のムチか暴力か、受けた子どもが分かるようでなくてはいけないということです。韓国ではその境目について、教師は『いま罰をした。あなたは家に帰って保護者にそれを言いなさい』と言う。それが境界線になっています」

エデュケーションの意味は「引き上げる」

   キャスターの小倉智昭は「体罰問題を5日間続けてきましたが、思ったのは、ものの考え方を根本的に変えないとダメな部分があるんじゃないかということですね」と話す。

   大八木がこれに呼応して次のような提言をした。「教育を英語でエデュケーション、『引き上げる』なんですね。(日本の)『教える・育てる』は『引き上げる』とは違う理解の仕方がされている。日本のオリジナルの部分を大事にしながら、欧米のサイエンス化された教育、スポーツを受け入れていく、国の力でないとできないですよ」

   何時間正座させたら体罰などという、どうでもいい定義ではなく、もっと根本的な教育、しつけ、その延長上にある体罰に対する意識改革が必要なのだろう。

文   モンブラン| 似顔絵 池田マコト
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