「勧進帳」の弁慶など歌舞伎十八番の豪快な荒事で知られた市川團十郎さんがきのう3日(2013年2月)夜、肺炎のため亡くなった。66歳。11代目團十郎の長男に生まれ、7歳で初舞台を踏んだ。11歳で市川新之助、23歳で市川海老蔵、38歳の若さで12代目市川團十郎を襲名した。
しかし、2004年の長男・海老蔵の襲名公演中に急性前骨髄球性白血病で入院した。この時は5か月で復帰し、その年の10月には海老蔵とともにパリ公演を成功させたが、翌年に再び休演し、06年に復帰した時は「『無限地獄』から戻ってきたという感じ。今度の療法は厳しかった。でも、舞台に復帰できるのは無上の喜びです。ベッドの上で考えることはお芝居のことしかない」と語った。
07年にはパリ・オペラ座で歌舞伎公演、紫綬褒章も受賞して「今年はツイてる年」。08年には妹から骨髄移植を受け血液型がA型からO型に変わった。その後も精力的に舞台を勤めたが、去年12月の京都・南座での「顔見世興行」を体調不良で途中休演し、これが最後の舞台となった。
息子・海老蔵の殴打事件では張り込み報道陣に「ホットワインと鳩サブレ」
歌舞伎評論家の犬丸治氏は「残念としかいいようがない。歌舞伎の中の鎮守の森ですから」という。井上貴博アナが「どんなときでも取材に答える。歌舞伎界の長嶋茂雄なんて書いた新聞があった」
司会のみのもんた「エッ、どういうこと?」
小松成美(ノンフィクションライター)「自分は團十郎だけれども、歌舞伎界をまとめていく責任があると海老蔵事件のときも答えていましたね」
みの「あの答え方が印象的でした」
海老蔵は10年に結婚したが、六本木で殴られ入院するという事件を起こした。このとき父親として実に立派だった。夜中に張っている記者たちにホットワインと鳩サブレを差し入れたりもした。犬丸氏は「決してうまい役者じゃなかったが、立派な役者だった。うまいのはいくらでもいるが、立派な役者は少ない」という。みのが「どういうことですか」と聞くと、「そこにいれば安心だ。舞台が引き締まる。伝統と人格は別なんです」お犬丸氏は説明した。
中村勘三郎に夜中押しかけられパジャマ姿で芝居談義
小松は團十郎に長いインタビューをしていた。「荒事は自然との対峙なんですといっていました。たえず自然に目を向けていて、スペースシャトルに乗せた扇をデザインしたり、『宇宙で歌舞伎をやりたい』なんてこともおっしゃってました」。勘三郎から聞いたという話もした。若いころに芝居で議論になって、勘三郎が夜中にまた訪ねたのをパジャマ姿で聞いてくれたことがあったそうだ。2人とももういない。
みの「今ごろ行ってるかもしれない」
勘三郎もそうだったが、ことし4月の新歌舞伎座のこけら落としはひとつの目標だった。その前の3月には、海老蔵と「オセロ」をやる気でもいた。これを海老蔵が引き継ぐことができるか。これも楽しみではある。