アルジェリアの襲撃事件で、救出された7人と9人の犠牲者の遺体がけさ25日(2013年1月)、政府専用機で羽田空港に着いた。残る1人、日揮の最高顧問の新谷正法さん(66) は遺体確認で間に合わなかったため、城内実・外務政務官と民間機で帰国する。
同じきょう元気で帰国するはずだった内藤文司郎さん「父親の誕生日」
専用機から降ろされた遺体に岸田外相、日揮の川名社長らが花を手向け黙祷を捧げた。空港内で家族と対面したあと、警察が検視し、さらに病院で司法解剖が行われ、殺害時の状況などを解明する。殺害を逃れた7人は横浜市の日揮本社へ向かい家族と対面した。深刻なストレスを訴える人もいて、この面のケアが急がれる。
司会の加藤浩次「新谷さんの確認は指輪だった」
キャスターのテリー伊藤「遺体の損傷がひどかったということです。家族の方は辛いですね」
本来ならきょう元気で帰国するはずだった人がいた。人材派遣会社から行っていた内藤文司郎さん(44)は、母のさよ子さん(69)に「日本には25日に着く」と電話で伝えていた。父親の誕生日に合わせて、29、30日に旅行を予定していて、「楽しみだ」と話したのが最後だったという。内藤さんはアフガニスタンの道路工事にも行き、アルジェリアのイナメナスでは宿舎の建設をやっていた。心配する母に「親より先に逝くことはないよ。そんな不幸はせんよ」といっていたそうだ。
さよ子さんは「あの子の魂を抱いてあげたい。必要とされるからボクは行くんだと…。優しくて男らしい子だった。私の子どもでありがとう」といった。同様のドラマは10通りある。いや、生還した人にだってある。無念の一言だろう。
亡くなった渕田六郎さんの兄、光信さんは鹿児島から上京した。六郎さんは春には帰ってくる予定だった。「夢に出てきたよ。死んだあくる日に。みっちゃんいま帰ったと呼ぶんだ。はかま姿で」と涙を流す。
襲撃実行犯「2か月半前から計画。外国人にはすべて爆弾付けろと指示された」
日揮や英国の石油会社BPの要人が集まる会合があるという情報が、武装勢力に漏れていたとみられる。大きなプロジェクトで大勢が関わるのだから、完全に防ぐ方が難しいだろう。現地メディアは拘束された実行犯の供述を伝えた。それによると、彼らは「ガス施設を爆破するように指示され、2か月半前から計画していた。すべての外国人の人質に爆発物がついたベルトをつけるように指示された」という。
日揮は現地スタッフを一時退避・帰国させるというが、イナメナスのほかに2か所の施設がある。アルジェリア政府に警備の強化を働きかけ、安全が確保されれば工事を再開したいという。
八代英輝(弁護士)「軍事施設の中にあるようなものでしょう。それが防げなかった。安全はアルジェリア政府に働きかけるしかない。しかし、犯行グループは『これが始まりだ』といっている」
テリー「強攻作戦について、戦時下だから仕方がないというけど、日本人はそう言ってはいけない。人命が大事だといわないといけない」
加藤「生きて帰った人たちの話が聞きたい」