アルジェリアの天然ガス施設襲撃の衝撃がまだ続いている。日揮社員7人の死亡が伝えられたなか、いまだに日本人3人の安否がわからない。広いプラントのどこかに爆発物が仕掛けられている可能性があり、生存者の捜索や遺体の回収が進んでいないのだ。
犠牲の渕田六郎さんフェイスブック「世界各地で仕事している」
日揮駐在員として赴任していた鹿児島出身の渕田六郎さん(64)の兄。光信さんは「22日(2013年1月)の朝7時に(亡くなったという)連絡がありました。とってもやさしいいいやつでした。兄貴思いで、何でも良くしてくれて、会いたいですよ」と涙をぬぐった。
渕田さんは大手建設会社を退職後、日揮の駐在員として1年ほど前からアルジェリア勤務となった。その渕田さんは「フェイスブック」のプロフィルにこんなことを書いていた。「燦々と降り注ぐ星空を目指し世界各地で仕事をしている。次はアフリカ大陸に位置するアルジェリアに行き、砂漠で星空を眺めることに期待を込めて!!」
昨年末に一時帰国した。光信さんは「『アルジェリアは怖いところだ。春には戻るからお酒を飲もう』と、言葉を交わしたばかりだった」と話す。
「アルジェリアの国家建設は日本人ビジネスマンが行った」
司会の羽鳥慎一がサッカー解説者の松木安太郎に、「サッカーの試合でいろんな国に行かれ、政情不安定なところで試合もあったでしょうね」と話を向けた。
松木「ここは日本じゃないということを自分自身で自覚していかないと怖い。日本の技術を世界が求めていて、それに応えてこういう所に行かなければならない。そこでこうした事件が起こるのはすごく残念ですね」
アルジェリアでイスラム運動を調査した経験のある上智大の私市正年教授がこんなことを話した。「ここではないのですが、アルジェリアに平成8年に行きました。言っておきたいのは、日揮だけではなく、日本のビジネスマンがアルジェリアでどれだけ貢献してきたか。70年代には4000人以上の人がアルジェリアに滞在していました。この国の国家建設は日本人が行ったといっても過言ではないですね。アルジェリアの人たちも非常に感謝しているので残念です。
とくに日揮は、90年代の内戦時に、ほとんどの日本人が退避したのに残って最後まで仕事をしていました。日揮は人材育成や雇用創出ということで、アルジェリアのために会社までつくっているんですよ」
7人の生存者と7人の遺体を搬送するための政府専用機が22日夜に羽田空港を出発し、23日午後4時過ぎには首都アルジェの空港に到着。早ければ24日には帰国の途につけるという。