世界の3大映画祭であるベネチア、カンヌ、ベルリンの国際映画祭で昨年(2012年)、木下惠介監督の作品が立て続けに上映された。映画のプロたちは「まさか泣くなんて思わなかった」「新たな発見だ」と絶賛した。生誕100年だったが、数々の名作はみな50年以上も前である。 それがなぜいま見直されているのか。
上映会の若者「切実に胸に響く。心の奥の底へぐっときます」
木下惠介が名監督として活躍したのは、戦時中から高度成長のとば口までである。昭和29年の日本映画ベストテンでは、3位の「七人の侍」(黒澤明)を抑えて、1、2位を木下の映画が占めた。木下作品は49本を数えるが、高度成長期以降は途絶えた。没後14年になる。
昨年11月、鎌倉で開かれた上映会には100人近くが集まった。「二十四の瞳」をはじめ、戦争や差別、貧困など理不尽な社会に生きる庶民を描いた内容がいまの時代に通ずると、若者から共感を呼んでいるのだ。「切実に胸に響く。心の奥の底へぐっときます」と若者たちは話す。
日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」(51年)は高峰秀子演ずるストリッパーの底抜けの明るさが占領下の暗い空気を吹き飛ばした。 「日本の悲劇」(53年)では一転、戦争未亡人の厳しい戦後を描いた。「二十四の瞳」(54年)は戦争に翻弄される子どもたち、同じ年の「女の園」は時代に苦悩する女子大生の物語だ。
代表作の「喜びも悲しみも幾年月」(57年)では灯台守の夫婦、「楢山節考」(58年)は貧困と飢餓が生んだ姥捨て伝説、「笛吹川」は戦国時代の農民一家の悲哀を描いた。英雄はいない。過酷な運命をけなげに生きる庶民の物語ばかりである。
66歳のときの珍しいインタビュー映像があった。木下は「社会生活をお互いに温かく生き合うものだと、子どものときから自然に思っていた。その温かさ がなぜ壊れるんだと、そういうドラマを作ってきたような気がする」という。
PR会社につとめる羽佐田瑤子さんは昨年、「女の園」を見て泣きっぱなしだった。「自分の気持ちを汲み取ってくれたような。女性の細かい悩み、 捉えようのない感覚をちゃんと描いて、本当によくわかっている」
映画監督の橋口亮輔さんは「木下作品には今を生きるヒントがある。辛い立場への共感だ」という。「二十四の瞳」に自らの個人的な苦境を救われた。「いまこれを必要としている人がいる」