<ニッポンの、みせものやさん>
見世物小屋はなぜ消えていったか…タブーを外連なく描いたドキュメンタリー

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   室町時代に始まり、江戸時代に大衆文化として発達し、昭和では庶民の娯楽であった「見世物小屋」の一座は、平成に入って4軒に減少し、現在は1軒が営業をしているだけになった。奥谷洋一郎監督は学生時代にアルバイトを通じて見世物小屋と出合い、魅了された。10年間「最後の見世物小屋」を追った密着ドキュメンタリーだ。

障害者、珍品、奇獣、曲芸見せて去っていく興行者たち

   見世物小屋とは珍品、奇獣、曲芸などの出しものを行う小屋と定義さられている。奇形児などを見世物にして興行収入を得てきたこともあり、社会福祉が発達していなかった頃には身体障害者の生活手段の一つであった。昭和50年以後は障害者を舞台に出演させることへの批判が強まり、見世物小屋は衰退していった。また、映画のなかでも興行者が語っていたが、テレビの繁栄も見世物小屋衰退の要因である。

   映画の世界でも、1932年、トッド・ブラウニング監督の『フリークス』というアメリカ映画が、実際の見世物小屋の花形であった奇形児や障害者を起用して世間にショックを与え、イギリスでは30年間公開禁止とされるなど、近年は見世物小屋はタブー視されるようになった。

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