松井秀喜(38)が現役引退を発表した。理由は「結果が出せなくなった」。引退のときはだれもがそうだろうが、巨人からヤンキースへと歩んだスーパースターも、この3年間はたしかに不遇だった。今後のことは「決めていない」と多くを語らなかった。
「最高に幸せな日々でした。ヤンキースタジアムの初めての日と最後の日は一生忘れない」
日本時間のきょう28日午前7時すぎ(2012年12月)、ニューヨーク開いた会見には在米の日本メディアのほとんどがいた。「本日をもって20年のプロ野球人生に区切りをつけます」と松井は言葉を選びながら話し始めた。「(引退を決めた)一番の原因は、クリーンアップで出させてもらったにもかかわらず、結果が出せなかったことです」という。日本球界への復帰については、「ありがたいお話もいただいたが、正直いって、期待される10年前の姿に戻れる自信がない」と話す。
メジャーで10年。うち7年はヤンキースで過ごし、けが、故障もあったが、2009年にはワールドシリーズで大活躍しMVPにも輝いた。しかし、直後にエンゼルスに移籍、11年にはアスレチックス、今季は声がかからずレイズでマイナーからのスタートとなり、メジャーで3か月プレイしたが不振で、8月に自由契約となったままだった。
自らの野球人生を振り返って、「北陸の小さな町で生まれ育ち、地元の高校から甲子園出場を果たして、ジャイアンツから1位指名をいただき、充実した日々をすごさせていただいた」と語った。とくに長嶋茂雄監督には「感謝してもしきれない」と話す。心に残るのは、「長嶋さんと2人で素振りをした時間が、一番印象に残っているかもしれない」という。
ヤンキースの7年間は、「最高に幸せな日々でした。ヤンキースタジアムの初めての日と最後の日は一生忘れない」。しかし、「5、6年前から両膝の調子が悪く、手術もしたし、体力的にもきびしく、きょうこの形になりました。寂しい気持ちとホッとした気持ちといろいろあって複雑です」