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森光子死去で東山紀之から近藤真彦に移ったジャニーズ帝国の跡目

   今年の後半は森光子、中村勘三郎、小沢昭一と大物が次々に亡くなってしまった。その森光子についての気になる記事が文春に載っている。「森光子『東山紀之』への遺言状」がそれだ。ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長やメリー喜多川副社長と森が仲がよかったことはよく知られている。きっかけはジャニーの父親が興業の仕事をしており、当時、大阪で活動していた森を「踊りがいい」と評価し、大ファンだったことからだという。

   異変は森の死亡の連絡がメリーに届くのが遅れたことから起きたそうだ。これは森の所属事務所の社長で甥でもある柳田敏朗社長が、体力の衰えていく森を見せないようにしたことから、最近は二人は疎遠になってしまっていたようだ。

   異変の2番目は青山斎場で営まれた本葬で起きた。ジャニーズ事務所を代表して弔辞を読み上げたのは、森とは46歳の年齢差があるにもかかわらず、「恋人以上、夫婦未満」と公言していた東山ではなく、近藤真彦だったのだ。東山と森との関係はどうだったのだろうか。森と同じマンションの住民の証言。

「東山さんは、多いときは週に四回くらいの頻度で森さんの自宅へいらしてましたよ。自分の車で深夜にこっそりやってきて、泊まって朝帰っていくんです。そういうのを知っているから、このマンションの人は、『二人は男女の関係』と信じていましたし、『森さんが若くて肌つやがいいのは、そのせいだ』と言っていました」

   では、なぜ東山から近藤にしたのか。森と親しかったテレビ関係者がこう語っている。「森さんは生前にしたためた遺言状に『遺産の一部を東山紀之に譲る』と残したというのです。それを知ったメリーさんが、話が違うとさらに怒った。というのも、森さんが元気な頃、『私が死んだら、子供もいないし、財産の一部はジャニーズの若い子たちを育成するために使って欲しい』と言っていたそうなのです。メリーさんはその意見に賛同し、『ジャニーズ=森基金』という形で、将来的に運営していきたいという考えを持っていた。年収十億円といわれるメリーさんにとって、それは金銭の問題ではなくて、友情の証。なのでメリーさんからすれば、森さんに裏切られたという思いがあるのではないでしょうか」

   この背景には、ジャニーズ帝国の跡目争いが絡んでいるという。東山が最有力だったのだが、女優の木村佳乃と結婚し、森とも距離を置くようになっていたようだ。近藤はジャニーズ事務所の「長男」的な存在で、東山を脅かしているそうである。大女優死してジャニーズ事務所紛糾の火種を残す。遺言状は森から離れていった東山への最後のラブレターだったのだろうか。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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