「全然後悔してないけど、出てみたかったなあ、スーパー歌舞伎」
「親父の葬式の時にさ、俺ショゲキっていてさ、中村屋の看板じゃあ芯はまだ張れないしね。そんな所に澤瀉屋の兄さん(先代・市川猿之助)が来て、隣に座って、俺の肩に手を回して言ってくれたんだよね。『一緒にやろうよ二人で手を合わせて』ってね。その時、俺どうしたと思う? イソちゃん? とっさに言っちゃったんだよね、『ヤダヨ!!』って俺。兄さんの手を振り解いて言っちゃたんだよ。あのひと言だよ。俺の人生を変えた瞬間は。俺がもう少し大人しくってさ、ヤンチャじゃなければ、その後に澤瀉の兄さんとやっていたろうね。スーパー歌舞伎を。後悔? 全然していないさ。こういう性分だし、俺なりに仲間はイッパイいるし。でも、出てみたかったなあスーパー歌舞伎」
その年(2000年)に勘三郎は浅草で「平成中村座」を立ち上げ、市川猿之助のスーパー歌舞伎にない、より江戸の歌舞伎を彷彿とさせる庶民感覚でお客を舞台に引きずり込んでいった。エネルギーと茶目っけ、ヤンチャぶり。目を閉じればその姿や声が浮かんでくる。
(磯G)