多くの人に惜しまれながら57歳の若さできのう5日(2012年12月)急逝した歌舞伎役者中村勘三郎を「けさの顔」コーナーで取り上げた。父の死去の日も舞台に立った2人の息子だったが、涙をこらえながら「父を忘れないでください」と口上を述べる姿に司会のみのもんたも思わずもらい泣きした。
「たまたま見舞いに行ったら、病室では大変なことになっていました」
長男の勘九郎と次男の七之助は京都・南座の吉例顔見世興行に出演している。父の死を看取ったあと、京都にとって返し舞台に上がった。襲名披露の口上で勘九郎が「父勘三郎、母好江の間に生まれたことを誇りに思います」といって言い淀むと、観客席から「がんばれ」の掛け声とともに拍手が起こった。それに励まされるように、「いちばん悔しいのは父でございます。もう、芝居ができないんです」と述べ、「父がいつも言っていましたが、お客さまに楽しんでいただけるようないい芝居をつくりあげることをお約束いたします」と力を込めて締めくくった。
舞台を務めた後の会見で、勘九郎は父との最期の別れを語ったが、看取ることができたのは偶然だったという。「初日から1週間近くたったので、弟と一緒にちょっと様子を見に帰ろうかという感じで…。それで病室に行ってみると、大変はことになっていてびっくりしました。話をするような状態ではありませんでした」
みの「身内のつらさが滲み出ていましたね。身内を送るということは大変つらいものです。でも、立派な口上でしたね。舞台で生きている人は舞台が第一、それに尽きる。2人の息子が立派に成長し、奥さんも、そして何より勘三郎さんが安心していると思いますよ」
勘三郎を12年にわたって取材し、親交のあったコメンテーター小松成美(ノンフィクション作家)に向かって、「飲んでも食べてもしゃべっても遊んでも楽しい方でしたね。一気に駆け抜けた気がしますね」と話しかける。
小松「きのうの午後、ご自宅に伺いましたが、本当にすやすやと休んでいらっしゃるようなご様子でした。思わず起きて下さいと声をかけてしまいました」
北川正恭(早稲田大学大学院教授)「私はあまり詳しくはないんですが、息子さんの口上を聞いていると、伝統の力を感じました。こうした経験を経て磨き抜かれて、また成長していくのでしょうね」