歌舞伎の中村勘三郎さんが亡くなった。7月(2012年)に食道がんの手術をしたあと、何やら長引いているなという感があった。それが急性呼吸窮迫症候群という聞き慣れない病名で、きょう12月5日午前2時33分、文京区内の病院で死去した。まだ57歳 だった。
食道がん回復したが合併症「急性呼吸窮迫症候群」
人間ドックで初期の食道がんがみつかったとこの6月、「私自身も驚いちゃいました」と陽気に公表した。7月に行なわれた手術は12時間もかかる大手術だったが、術後の経過は順調で病院内を歩けるまでになった。しかし、ここで肺炎を併発して呼吸不全を起こし、専門病院を2つ転院するなど苦しい闘病生活が4か月続いた。11月には肺に疾患が認められ、ついに回復することはなかった。
京都南座の襲名公演に出演している勘九郎と七之助の2人の息子はきのう東京に戻り、父親を看取ったが、朝には京都に取って返した。通夜・告別式の日取りは未定。
先代勘三郎の長男で、勘九郎として3歳で初舞台を踏んだ。早くから才能をうたわれ、芸域も古典から新作まで幅広く、歌舞伎界に新風を吹き込んだ。映画やテレビ、現代演劇でも活躍。04年ニューヨークで平成中村座を立ち上げるなど、海外でも知られた。05年に勘三郎襲名後も意欲的な活動を続け、現代歌舞伎の雄だった。
昨年1月には、突然耳が聞こえな くなる「特発性両側性感音難聴」になり、半年間の闘病で舞台に復帰していた。それから1年も経たずに今度はがん。本人は回復を疑わず、勘九郎の襲名公演はかなわなかったが、来年4月 の新歌舞伎座のこけら落としにはと復帰を思い定めていたという。
入院前に「しばらくできなくなるからとゴルフコンペ」
芸能リポーターの井上公造は「肺炎は知ってました。自力で呼吸ができないので呼吸器をつけていた。話すには呼吸器をはずすので、短時間ごく身近な人とだけ話していた」という。
07年11月に放送したテリー伊藤のインタビュー映像があった。楽しそうに話す2人。テリーは「収録が終わった後も、 野球から政治、女の子の話と、本当に面白かった。こんな天才はいない。歌舞伎役者としても、普通の役をやっても天才。なんで天才は早く死んじゃうんだろ」という。「彼が60代、70代、80代 と老いていってどんな役者になるか見たかった」
司会の加藤浩次が「今回の病名、どんな病気なの」と聞く。専門家によると、急速な呼吸障害のことで、食道がんのあとの合併症では肺が多い。食道がんの手術の12時間というのは長過ぎるので、がんが進行していたのかも知れない。手術時間が長くなると合併症の危険も高まるものだそうだ。
テリーが「辛い4か月だったね」
井上「入院前には、しばらくゴルフができないからとコンペまでやって入院していた。ボクらはいつ戻ってくるかと思っていた」
テリー「歌舞伎座のこけら落としねえ。スーパー スターがもったいないない」