「放送中のスタジオが一時騒然とした。いったい何が起きたのだろうかと思っていたら、中村勘三郎さんの訃報だった」
司会のみのもんたはこう話して目を伏せた。歌舞伎人気をリードして来た俳優の十八代目中村勘三郎がきょう5日(2012年12月)午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため東京都文京区の病院で死去した。「朝ズバッ!」はいくつかのコーナーで勘三郎の死去を何度も伝えた。
楽しみにしていた来年4月の歌舞伎座柿落し
「8時またぎ」コーナーでは、「さらば中村勘九郎 十八代目中村勘三郎襲名」の著者で、勘三郎と10年来の親交があったノンフィクション作家・小松成美に話しを聞いた。小松は電話口で声を詰まらせながら、「急な訃報に驚き、何も手に付かない状態です」と語り、「絶対また再起するのだと勘三郎さんは病気と闘っていました」と話す。
みの「勘三郎さんは新作歌舞伎にも意欲的に取り組んでいましたね」
小松「東京・浅草の平成中村座ももっと盛り上げなければとお話ししていましたし、なによりも来年4月の歌舞伎座の柿落しを楽しみにしていました」
みの「お酒が好きな方で、夜中まで飲み明かしている姿を何度か見ましたが…」
小松「いつも陽気なお酒でした。一緒に飲んでいる周りの人も楽しくなるような飲み方でした」
夏の食道がん手術成功し、一時歩けるまでに回復
勘三郎の妻・好江さんから死去後に送られてきたファックスを紹介された。そこには、夏に行われた食道ガンの手術は12時間にも及んだが成功し、一時は病院内を歩き回るほどまでに回復。しかし、その後、肺炎を患い呼吸困難となり、その治療のために2度転院をしたことなどが明かされていた。
TBS芸能部の稲垣デスクは、「ここ数日は調子があまり良くないと聞いていたが、こんなに早く逝くとは思いませんでした。きょうは大阪南座で息子の勘九郎さんの舞台があるが、舞台をやりきって戻ってくるでしょう。親子3代で舞台に立つことが勘三郎さんの夢でした」と話した。